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神田くんあかん、そっちは行き止まりや / アニメ「さくら荘のペットな彼女」21話感想

さくら荘は毎週けっこう楽しみに見てます。青山さんがかわいいので。原作は読んでない。

 

楽しく見てるんだけど今週の最新話は「え、何それ」と違和感が大きかったのでちょっと考えをまとめてみたい。うろ覚えなのでセリフはてきとうです。

 

 

最初に「お前それでいいのかよ」と思ったのは、雨の中泣き崩れる青山さんを慰めながら主人公の空太が「お前は頑張った」と言うところ。うん、その通りなんだけどなんか虫唾が走る。あとは何て言ってもラストの方で「やっぱり才能が全てなのかよ いくら頑張っても凡人は天才には敵わないってことなのかよ」とか言うところ。

 

「あれほど頑張ったのに、これだけ努力したのに報われないなんて間違ってる」俺はこういう考え方が嫌いらしい。「これだけ努力したからその代わりにこれくらいは見返りをよこせ」というのは傲慢に過ぎないか。また逆に空太に聞いてみたいのだけど、あなたが憧れたゲームの世界は、努力すれば誰にでも面白いものが作れる程度の浅い世界だったのだろうか。そうではないだろう。自分が全てをかけて挑んでいるはずの世界を、誰でも参加可能な単なるゼロサムの取引の理屈で回収してしまうのに腹が立った。

 

そもそも周りから天才と見なされるやつは「自分に才能があるかないか」とか考えてなど居ない。また、そうした天才にキャッチアップしようと正しい努力を積み重ねている人間は「自分に才能があるかないか」を考えることに時間を割かない、というかそんな余裕はない。

 

これがゲーム製作とか声優とか、基準が曖昧(と、見える場合が多い)な業界だから余計に話がややこしくなっている、例えば陸上競技の100M走で競争したとして、10秒フラットで走る選手が12秒フラットでしか走れない選手に泣きながら「所詮才能が全てなのかよ!」とか言われても「お、おう」としか答えようが無いわけで。そんなもん知るかよ、単純にお前が俺よりも足が遅いだけだ、となる。

 

他人に対するコンプレックスはごくごく短期間に限ればパワーになるけれども、それは長い目で見れば自分をどんどん疲弊させていくことになる。だから動力源としては欠陥品だし、どうしたって行き詰まる。その道で一流を目指すならば、それ自体が楽しくてしょーがないという状態に入る必要がある。自然にそのサイクルに入れる人もいるし、そうでないひともいる。そのサイクルに入るには、空太が何でゲームを作りたいと思ったのか、原初の憧れを取り戻すのが何より大事だろう、ベッタベタだけどさ。初心忘るべからずってのはそういう意味ではいつだって真理だ。もちろんコンプレックスを煮詰めて煮詰めて狂気を育ててそれで突き抜けてしまった天才も歴史上沢山いる。でもそれだって決して本人は望んだわけではないよね。

 

しかし俺の眼には空太は随分着実にステップアップしてるように映るんだけどなー。さくら荘の取り壊しやら青山さんの落選やら自分の度重なる落選やらましろだけいい思いをしている(ように見える)、でナイーブになってたのは分かるけど、それで他人に当たってもいい免罪符にはならない。しかも、どう考えてもさくら荘の取り壊しに最も責任を感じているはずのましろに向かって。

 

あと、空太がましろのレベルまで登っていくまでの体の良い道具として青山さんが使い捨てられそうに見えて悲しかった。声優のオーディションを落ちた青山に「お前はそれでいい」というのは、優しいようでいて随分酷なことを言っている。もちろん精神的に追い詰められている青山を一時的にでも慰める必要があったというのは分かるけど、でもそれって青山じゃなくて自分に言い聞かせているだけだよね。うーん共依存万歳。

 

しかし空太にも青山さんにもそんなつまらないところで止まってほしくは無いなあ。もちろんましろも自分の才能を抑えるようなことには間違ってもならないで欲しい。ならないだろうけど。

 

コンプレックスはエンジンとしては欠陥品であるという考えは俺の体験によるところが大きいので、どの程度一般性があるかは分かりません。