もしHUNTERXHUNTERでメルエムが生きていたら? /「はたらく魔王さま!」感想

現在放送中のアニメ「はたらく魔王さま!」が面白いです。今期はこれとガルガンティアが頭一つ抜けて好き。以下アニメ5話までと原作1巻を読んでの感想です。

 
アニメの4話を見ててすげーなーと思ったのが、勇者が魔王に自身の憎しみを吐露するところ。「なんで私に、人に、世界に優しくするのよ! なんで優しくできるのよ! 優しくできるなら、なんで私のお父さんを殺したの!」 それに魔王が「とりあえずなんかスマン。あの頃の俺は人間というものをよく理解してなかったから」と応える。それを聞いて勇者はさらに激昂、第三者が入ってきて場面転換…というシークエンス。声優さんの演技とあいまって印象的なシーンでした。原作者にとってもここは特別なシーンだったらしい。

 
 
これどっかで似たようなの見たことあるなーと思ってたんですがHUNTERXHUNTERで主人公のゴンがネフェルピトーに怒りをぶつけるシーンだった。「ずるい! ずるいぞチクショウ! 何でそいつばっかり! カイトにはあんな非道いことしたくせに! 何でだよ!」と叫んで地団駄を踏んでるアレです。HUNTERXHUNTERで好きなシーンベスト3には入る。

HUNTER×HUNTER 26 (ジャンプ・コミックス)

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他にもこの作品ってHUNTERXHUNTERのキメラアント編にかぶって見えるシーンが結構あるように感じました。で、この「はたらく魔王さま!」ってひょっとしたら「HUNTERXHUNTER」のキメラアント編ラスボスの蟻の王、メルエムが生きていたらその後どうなったのだろうか? というifの物語なんじゃないか。メルエムもキメラアントの繁栄のために多くの人間を虐殺、捕食しています。しかしコムギとの交流を通してメルエムは自身の価値観を揺さぶられ、支配する対象でしかないはずの人間の存在に積極的な価値を見出し、自分たちキメラアントと人間の共存の道を探り始める。
 
「余は何のために”力”を使うかを学習した 弱く…しかし生かすべき者を守るためだ 敗者を虐げるためでは決してない(HUNTERXHUNTER27巻より)」
 
また、自身の死期を悟った王はパームに以下の様にこぼします。今の自分だったらきっともっと上手く人間とやっていくことができた、と。
 
「どこかでほんの少し… 何かがほんの少し違っただけで 今の余ならば 神とまでは言わぬが… この世を…(HUNTERXHUNTER30巻より)」
 
メルエムが、というかキメラアントが人間を捕食するのは別に人間が特別憎いわけではなくて、シンプルに食料として見ているだけです。なまじ言語が通じるから話がややこしくなっているけど、そこに善悪は存在せず、キメラアントは自分たちの本能に従っているにすぎない。「はたらく魔王さま!」の魔王も人間を支配しようとしていた動機について「俺自身あんまり深く考えたことはないが」と言っています。「悪魔と人間て基本的に相容れないし」とも。
 
しかし魔王もメルエムと同じように人間に積極的な価値を見出し、これから共に生きる道を探っていくようにアニメ5話と原作1巻を見た時点では思います。そうした場合に問題になってくるのは以下の様なことでしょうか。
 
1、魔王の人間に対する償い
 魔王サタンはエンテ・イスラという異世界で多くの人間を虐殺しています(勇者エミリアの父親もそこに含まれる)。エンテ・イスラから見て異世界の現代日本に来てしまったからといってその罪は消えるわけではない。エンテ・イスラに戻ったらその償いをしなければならないし、このまま現代日本に滞在するとしても少なくとも勇者エミリアに対して何かしらの償いをする必要がある。そんなもんどうやったって出来るわけねーだろとは思うけれど。果たしてどうやったら償ったことになるのかね。
 
2、勇者エミリアが魔王サタンを許せるかどうか
 ラノベ1巻のラストの方では割とあっさり許しているようにも見えたけど上記原作者ツイートを見る限りあの程度で消えてしまう憎しみではないでしょう。最愛の父親の仇ですから。憎しみを忘れて無かったことにするってのは物語の基礎の強度を下げてしまう悪手も悪手だしそれは無いと思う。あるとすれば魔王サタンと真奥貞夫を全く別の存在として納得するくらいか。
 
3、魔王と勇者を第三者はどう受け容れるか
 これのキーに成るのは魔王のバイト先マグロナルドの後輩アルバイターちーちゃんです。社会の象徴になっているとでもいいますか。勇者エミリアが序列第一位のヒロインでちーちゃんは単なる引き立て役、という形にはならずに、かなりの重要な役割がこのちーちゃんには託されていると思う。具体的にいうと最終的にちーちゃんが魔王とくっついても何も不思議がないようなレベルでの存在感がある。正ヒロインを差し置いてEDがまるまるこのキャラの一枚絵で作られていることからもそれは分かります。
 
 
はたらく魔王さま!」はあくまでも日常コメディとしてこれらのでかい&重いテーマを描いていくみたいで、それが何より凄い。そもそもこの作品を見るきっかけになったのはアニメ1話のエンテ・イスラ語のイントネーションとキャラの変顔、ときおり挟まれる絶叫の唐突さだったりとその辺がツボったことがでかいので嬉しい話です。原作1巻あとがきで作者は「魔王と契約した作者の描くこの物語は、毎日を必死に、楽しく生きている奴らのお話です」と書いてるけど、これは価値ある挑戦だと思う。原作小説もアニメもこれから期待しています。
 
 
 
余談:怨みや憎しみにどう落とし前をつけるか
 しかし勇者エミリアはどうやって自分の憎しみにケリをつけるんですかね。あくまで日常ものとしてのトーンを維持していかにそこを描くか。復讐譚ってのはそれこそ掃いて捨てるほど数多くあって別に正解がある訳ではないけれど、憎しみを無かったことにして忘れるってのは俺はあんまり好きではない。ジョジョ6部にはこんな言葉もあるし。 「「復讐」なんかをして、失った姉が戻るわけではないと 知ったフウな事を言う者もいるだろう。 許すことが大切なんだという者もいる。 だが、 自分の肉親をドブに捨てられて、その事を無理矢理忘れて 生活するなんて人生は、あたしはまっぴらごめんだし… あたしはその覚悟をして来た!! 「復讐」とは、自分の運命への決着をつけるためにあるッ!」大事な意見だと思う。憎しみを忘れて生きることができたとして、それはある意味で人間をやめることなんじゃないか。最近だと無限の住人最終巻での凛の選択が、彼女なりに色々なものを引き受けていて感慨深かった。

無限の住人(30) <完> (アフタヌーンKC)

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