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「他人を軽蔑する」のはそんなに悪いことではない

、と最近考えるようになりました。

 

みなさんには軽蔑する人間は居るでしょうか? ちょっと違うけど憎い人間でもいいです。私には数人居ます。実際に殺してやろうとかは流石に思わないけれど(たまに思うけど)、その人たちを見ると心の底から「どう間違ってもこんな人間にはなりたくないなあ」と思います。具体的には人の話を聞かない人や、少し立ち止まって「自分が間違っているかも知れない」と考えられない人間は私はちょっとアレです。知情意的粘り強さが足りない人とでも言いますか。相手も私をそう思っているかも知れないのでまあどっちが正しいとか間違っているとかそういう問題ではないです。

 

それで割と最近ですが、「そいつを軽蔑している」ということを自分の中ではっきり認識するようになり、それに対して「人を軽蔑するなんていけないことだ」とか考えることはせず、かなりフラットにその判断を放っておきました。そうすることで色々と面白い変化が起きたので記録しておこうと思います。

 

 

先ず、そうしたマイナスの感情を無理を隠したり抑えこんだりしないことで、内的なストレスが減ります。これは分かりやすい。また、時に応じて相手に「私はあなたを軽蔑している」というメタ・メッセージを送ることも特に抑えこまないようにしています。これは自分でも完全にコントロールしている訳ではないです、自然にそうしているだけ。たまにそうしないと相手もつけあがってしまうから仕方なくやる訳ですが、まあ下らないパワーゲームです。

 

それでこっちが本題ですが、全く予想外なことに、「俺はこいつを軽蔑している」とはっきり認識したことで逆にそいつのプラスの面が見えてきました。人間としては最悪でクソ野郎だが、例えばメシを美味そうに食うとか、審美眼があるとか、音楽の趣味がいいとかまあそんな感じ(ちなみに独自統計によると[サンプル数少]、性格の悪い奴は音楽の趣味が良いことが結構多い)。そうしたプラスの側面に関しては素直に敬意を表することができるので、かえって人間関係が円滑になったりしている。全く何がどう転ぶか分からないものです。部分的にでも敬意を持てるってことは別にそんなに憎んでないんじゃねーのと言われればまあそうかも知れない。

 

まとめると、マイナスの感情を抑えないことで他の箇所でのパフォーマンスも上がり、なんというか俺の無駄なストレスも蓄積しないし、そいつは適切な罵声を浴びて反省できるし色々と良かったね、という話です。

 

あとちょっとこれは関連付けていいものかどうか微妙ではあるけれど連想したので備忘として。赤ん坊が生まれてきて最初に抱く感情ってなんだろう、とたまに考えることがあるんです。それって人間のあらゆる行動様式を強く基礎づけているかも知れない、という仮説の上で、結構昔から興味があります。出産の前は母親の胎内で羊水に浸って果てのない安心感にたゆたっているだけで、特に意識は無いんだろうなあ、とイメージしています。この時点では意識と呼べるような明確なシステムはまだないと思います。それで母親の胎内から外にでて、最初に感じることは何なんだろう。推測ですが、羊水から、あるいはへその緒から、子宮から、要は母親から「離れた」という感覚ではないか。触覚。それと、多分「寒い」という感覚。で、それに対する恐怖。そう、人間が感じる最初の感情って恐怖なんじゃないかな。母親の胎内にいる時の安心感ってのは数字で言えば「0」でしか無く、別に何かを感じているという訳ではない。外に出ることで、恐怖を感じることで、そしてそれに対して叫びを上げることで(産声=泣き声)、人間としての第一歩を踏み出す。そうした原初的体験もあり、マイナスの感情を素直に表現することは人間が普通に生きていくで死活的に重要なのではないか。そう思いました。現実的制約や、成熟によって当然その表出のあり方は変わっていくでしょうが、大原則として。