「この名に恥じないように生きる」ヴァイオレット・エヴァーガーデン第9話感想

 

ヴァイオレット・エヴァーガーデン』が異常に良いです。

 

 


アニメ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』PV第4弾

 

 

これから信仰告白かつ布教活動かつ制作陣への感謝かつ妄想テキストを書きます。途中まではネタバレ無しです。まだ本作を見ていない人には、原作は読まずにアニメを先に見ることを強く推奨します。原作も素晴らしく面白いのですが、諸般の事情によりアニメ版から見た方が絶対に楽しめると断言できます。理由は後ほど。いやホント悪いことは言わないからとにかく見たほうがいい。タイトルがくどいし絵も濃いしなんかかったるいので見るのめんどくせーなーと思う人、俺がそうだったんですが、京都アニメーションに少しでも何らかの信頼を置いている人ならば見たほうがいい。夜中に偶然見た「サムデイインザレイン」でハルヒを見始めて以来(そもそもそれまでアニメを見るという習慣自体無かった)12年京アニ作品を追ってきましたが、この『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は京アニ史上最高傑作になるかも知れない(今のところマイベストはフルメタふもっふとTSR)。まだクライマックスにはじゅうぶん間に合う、Netflixで見れるらしいよ。では本文です。

 

 

簡単な作品紹介(大きなネタバレは無し)

ざっくりとしたイメージとしては、百年くらい前のヨーロッパのような文明レベルの架空の世界を舞台としたお話です。主人公のヴァイオレット・エヴァーガーデンは14歳前後の少女でありながら軍人として多くの人を殺めた過去を持ち、大戦に参加して両腕を失い現在は義肢を身につけている。その世界では字が書けない人のために手紙を代筆する「自動手記人形」という職業が存在し、主人公は恩人の語った「ある言葉」の意味を理解するためにその職につき、様々な経験をする中で大きく変わっていく。

 

まず作品の魅力を支える屋台骨として、ヴァイオレット・エヴァーガーデンというキャラクターがとにかく秀逸です。魔性の美貌、やりすぎなコスチューム、感情を知らない、戦闘の天才、両腕メタル義肢、頭脳明晰かつ超絶KY、CV石川由依と、全部盛りにも程がある。だけどこれらは要素でしか無いので、それがリアリティを持つってのはやっぱり原作者の感覚の勝利だしアニメスタッフ皆の努力の賜物だと思う。物語序盤は「感情を知らないヴァイオレットが自動手記人形として働いていく中で、少しずつ感情を獲得していく」という道筋に沿って進んでいく。非常に特殊な生い立ちのせいで「普通の」人間のように物事を感じることが出来ないヴァイオレットは、様々な困難にぶつかりながらもそれらを一つ一つ克服していく。

 

 

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ヴァイオレットちゃん

 

 

感情を知らないとか書きながらそれがどういう状態を指すのか良く分かりませんが、一つ言えるのは「あんたには人の気持ちが分からない」って人から言われるのは凄く辛いということです。ヴァイオレットも序盤でよくそういうことを言われては傷つき、それもきっかけにして色々なことを理解していきます。このプロセスってなんだか他人事とは思えないというか。頑張れー、感情のあるまともな人間に負けるなーって応援してしまう。

 

で、スタート地点がそんなだからでしょうか、自動手記人形として一人前になったヴァイオレットは他の同業者とは一線を画する異様な能力を備えます。戦争しか知らず人並みの感情を持たない少女が強くそれを恥じ、感情を理解したいと努力した。「だからこそ」他者の心情を深いところまで理解し、引き出すことが出来るようになった。ある人間がそれまでに何を経験し、どんな苦悩を乗り越えてきたかというのは黙っていても相手には伝わるもので、ヴァイオレットの様な非常に特殊な経験をしてきた人間が他者をより強く惹きつける、というのは説得力がある。

 

あとは京都アニメーションの基礎的な作画水準がその時代の先端を行っているというのはもう10年以上ずっとそうだと思いますが、本作でもやっぱりそれは変態的なレベルで、特に一番唸ったのは4話アバンのアイリスが階段を降りる時に足首が細かく左右に揺れるところですね。頭おかしい。こんなこともやれてしまうんかと。あとは陰影の付け方というかライティング、これは「撮影」の分野になるんでしょうか。3話のルクリア兄に手紙を届ける際のヴァイオレットの顔とかやばいですね。人物が室内に居る時、柔らかい光が顔に当たる感じとかも。演出領域では3話、ルクリアがヴァイオレットに自らの過去を独白するシーン、あの間がドンピシャ丁度良すぎる。こういう美点を連ねたらキリが無いくらい、京都アニメーションが積み重ねてきたものの総決算のような作品になってる。今「妖怪人間ベム」が再放送しているのでちらっと見たのですが、やっぱり大昔のアニメーションで表現できることって凄く限定されていたんだな―と感じました。今はこうして様々な技術がガンガン向上しており、昔ではとても表現できなかったテーマを描くことが可能になっている。この作品は「人間の感情」そのものをテーマにしているので、顔の表情の作画一つとっても非常に高い水準を要求されます。で、それを無理なく実装できているというのは京都アニメーションの圧倒的な実力を感じる。すげえなあ…。PVにもあるように音楽も異様に良いです、本エントリ冒頭に貼った映像はもう何回繰り返して見たか分からない。

 

 

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第3話より



 

 

ネタバレ無しの感想はここまでです。以下は原作小説込みのネタバレがあります。

 

 

稀に見る良改変(ネタバレあり)

 

まずは少し冷めた話題からですが、どうしても触れざるを得ないのはやはり「ギルベルトの生死をどう扱うか」です。原作小説では【ギルベルトは生きているが、そのことはヴァイオレットには隠されている。ヴァイオレット以外はギルベルトが生きていることを知っている。しかしヴァイオレットは〈ギルベルトは生きている〉という根拠の無い確信を密かに持ち続け、それを生きる支えとする。そして実際に最後はギルベルトと感動の再会を果たして終了】となる。しかしこれだと結局はヴァイオレットがギルベルトに依存していることに変わりはなく、ヴァイオレットが本当に成長しているかどうかは良く分からない。俺はアニメ4話までを視聴したところで原作を読んだのですが、上巻は「ギルベルトは死んでいる」という前提で読んでおり、それはそれは大層面白く読むことが出来ました。アニメ4話までと原作上巻を読んで何に心を動かされたかと言えば、「ギルベルトは既にヴァイオレットに全ての祝福を与え尽くしていた」ことが話が進むにつれて少しずつ明らかになっていくところです。ヴァイオレットはギルベルトと過ごした短い時間の中でその後の人生全てを導く、それこそ「みちしるべ」となる愛を全て受け取っている。ギルベルトはヴァイオレットにとって父であり兄であり友であり夫であって、彼に出来る限りの愛情を彼女に注いだ。だから、自動手記人形として働く中で様々な障害にぶつかったとしても少しずつ克服していくことが出来る。こういう解釈で楽しんでいました。

 

原作下巻の巻頭イラストでギルベルトが生きていることが分かった時は「ヴァイオレットちゃん良かったねー」とも勿論思ったが、隠さずに言えば「ギルベルトが死んでいた方が物語としては面白かったな」と感じた。理由は上述のとおりです。また、公人であるギルベルトの生死を確かめるのはそんなに難しいことでは無いはずなのに、それこそアニメ版のようにヴァイオレットが「あらゆる手段を使って」確かめようとしないのは不自然だ。

 

で、京アニはそのことを完璧に理解しており、アニメ版では【ギルベルトはまず間違いなく死んでいる。ヴァイオレット以外の全員が〈ギルベルトは戦死した〉と認識しており、それをヴァイオレットに長らく隠していた。ギルベルトは生きているという嘘をつき続けた。ある時ヴァイオレットはギルベルトが戦死したことを偶然知るも、それを受け入れることが出来ず、思い当たる全ての人間に会って確かめる。最後の闘いの現場にも赴く。そして、ギルベルトは死んだということをようやく理解する。生きる理由を見失ったヴァイオレットは茫然自失し、自死を試みるも死にきれず。しかし、それまでの自動手記人形としての働きで得た同僚との信頼関係や、仕事で出会った人達との繋がり、そして何よりギルベルトから〈その名にふさわしい人間になりなさい〉と命令(or願いor祈り)を受けていたことを思い出し、ギルベルトが居ない世界でなお生き続けることを決意する】と、なんとまあ原作とは真逆と言っていい流れになっている。正直原作下巻の展開はめちゃ不満だったので、アニメの方が断然好み。こんなに大幅にストーリー回しを改変されて原作者としては不愉快ではないのかな? という疑問はあるけど、そこは京アニレーベルの小説賞はそういうものと理解されてるのでしょう。

 

7、8、9話でギルベルトが居ない世界でヴァイオレットがどのように、何故生きるか、という話を描き切ることに成功しているので、この作品をヴァイオレットの物語だけとして見るならぶっちゃけギルベルトは生きていても死んでいてもどちらでも問題はない。むしろ死んでいた方がヴァイオレットの成長というテーマははっきり際立つかも知れない。でも死体も見つかっていないし十中八九ギルベルトは生きていて、ここから後の話はもう一人の主人公であるギルベルトをヴァイオレットが何らかの形で救う話になるんだろうと思います。

 

根拠としては、アニメでは意味のないシーンは基本的に描かれないという法則からすると(今考えた)、ギルベルトは祭りの時に感じた「惨めさ」から、ヴァイオレットのもとを自ら離れそして今は身を隠しているのかなと。ギルベルトはヴァイオレットに「美しい」という概念を教えられていなかったことを祭の夜に気付き、それを強く恥じる。自分が近くに居ることでヴァイオレットを不幸にしてしまうと確信してしまう。最後の決戦では自分のために両腕を失わせ、「愛してる」の言葉の意味も知らない少女に育ててしまったと強く自分を責める。この悔しさや無力感ってどれほどのものか。。。特に祭のシーンはやっぱり物語のオープニングにも選ばれているだけあってギルベルトのこの「惨めさ」を一切台詞を用いず表現することに成功しており、作中を通してハイライトの一つと言える。もしかしたら京都アニメーションの実力を一番感じることの出来るシーンかも知れない。

 

でもホント、どちらもアリだと思います。どちらでも見てみたい。

 

 

「一番大切」ではない、でも大切な人たち

 

Violet in a crowd

雑踏のヴァイオレット(第9話)

 

 

ここまでが前置きで(長過ぎる)、どちらかと言えば書きたいことはここからです。 

 

話が少し飛びますが、私がエヴァンゲリオンシリーズ全てを通して一番好きなシーンは、新劇場版:破で綾波レイが自爆する直前に真希波・マリ・イラストリアスを後ろに突き飛ばして「ありがとう」と言うシーンです(うろ覚え)。なんというのでしょうか、一番好きな人に優しくするのって当たり前じゃないですか。そこまで大事ではない人にどう接することが出来るかってのが、その人の地の強さをより率直にあらわしている気がして、このシーンでは綾波レイが作品を通してめちゃくちゃ変化していることが感じられて、まあ、なんか好きなんですよね。

 

ヴァイオレットが初めて手紙を受け取ったのは、ギルベルトに比べればそれほど強い結びつきがあるわけでもない同僚の二人、エリカとアイリスからだった。初めて代筆に成功したのは、自動手記人形の学校でたまたま同期生になった友人のルクリアからルクリアの兄への手紙。自暴自棄から立ち直って初めて書いた手紙は逆にその兄からルクリアへの手紙。この作品では、ヴァイオレットにとって「一番大切」という訳ではない人達が彼女にとって非常に大きな役割を果たしていて、何は無くとも生きる気力の一番根っこのところを支えている。

 

上の写真は作中屈指の好きなシーンで、ヴァイオレットが雑踏で「誰でもない一人」として太陽を見上げているところが引きで映されています。本作品でヴァイオレットがこうしてその他大勢と同じレベルで表現されるって多分初めてですが、ここにおいてようやくヴァイオレットは少し視界が広がったというか、「自分とギルベルト以外にも人間は沢山居て、それぞれがこの世界で生きている」ことに気付いたんじゃないでしょうか、多少誇張した表現ですが。これがどういう訳か見ていて嬉しい、この世界に他人が居ることに気づくことほど嬉しい発見ってそうそうないと思うので。そういえば映画聲の形のラストシーンもこれにかなり近いな

 

 

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映画 聲の形 ラストシーン

 

 

もうすぐ発売される原作外伝でも同じようなアングルで街角を行くヴァイオレットが描かれているようです。

 

 

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Books : 『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』公式サイト | KAエスマ文庫

 

 

ここまでたどり着いてようやくヴァイオレットはギルベルトの次の言葉を思い出すことが出来る。

 

 

「君は道具ではなく、その名が似合う人になるんだ」

 

これは本作品のもう一人の主人公、ギルベルト・ブーゲンビリア少佐がヴァイオレットにかけた言葉で、初出は4話ラスト。ギルベルトは目の前の名前を持たない少女に、視界の端に映った菫の花から「ヴァイオレット」という名前を付ける。花言葉や神話のイメージも勿論あったことでしょう。

 

ヴァイオレット……。ヴァイオレットだ。

成長すれば、君はきっとその名前に相応しい女性になる。

君は道具ではなく、その名が似合う人になるんだ。

(アニメ第4話)

 

このシーンがあまりに美しく。こんなに優しい言葉ってあるんか、と思ってしまう。第8話でこの続きが描かれるが、直後にヴァイオレットは初めて言葉を発する。「ゔぁいおれっと」「しょうさ」とたどたどしく、声の出し方自体を知らないのか、全身をくねらせながらぎこちなく声を絞り出す。そもそも作中ではこのシーンまで言葉どころか声すら一切漏らしていなかった少女が。大きな奇跡が起きている、ギルベルトの言葉がよほど強い力をもってヴァイオレットに届いたことが分かる。ギルベルトは祭の夜にヴァイオレットを上手く導けなかった自分の不甲斐なさに涙するが、誰かを完璧に正しい方向に導くなど人間には到底無理な話で、そもそもこうしてものすごく大きなことを既に成し遂げている。ここでギルベルトがヴァイオレットに与えたものは、これはもう一生分の祝福といっても言い過ぎでは無いと思う。

 

このシーンは9話でも回想される。ギルベルトが死んだことでもう彼から命令を受けられないことを絶望し自死まで試みた少女が、一番最初に彼から聞かされた、命令と呼ぶにはあまりに曖昧な願いのような、あるいは祈りのような言葉を思い出す。

 

その名にふさわしい…

その名が似合う…

(アニメ第9話)

 

一番大切なものをギルベルトから一番最初に受け取っていたことにヴァイオレットはここに至ってようやく気づき、生き続けることを決意する。ギルベルトの功績たるや。

 

 

繰り返される「ヴァイオレット・エヴァーガーデン

 

この作品では何度も何度も主人公がフルネームで呼ばれます、ちょっと不自然で笑ってしまうくらいに。出会ったばかりや、畏まった場面ならともかくある程度親しくなったらあんまりフルネームって使わないじゃないですか、それでも執拗に繰り返しフルネームで呼ばれるんですよね。作品タイトルでもあるとはいえ変だな変だなーと思って見てましたが、やっぱりこれにも明確に意味があるんでしょう。

 

考えてみればこの名前は、故郷も家族も持たず、名前も持たず、言葉も理解せず声すら発せず、ただ人を殺すことでしか存在意義を証明できない少女に、ギルベルトが花にあやかって付けたファーストネーム「ヴァイオレット」と、ギルベルトにとって親戚筋でもっとも信頼できる家のファミリーネーム「エヴァーガーデン」を合わせたもので、ギルベルトが彼女に贈った大きすぎる祝福を象徴、というかそのまま表している。ヴァイオレットにとっては生きる理由そのもので、一生をかけて従うべき指針でもある。呼ばれることが嬉しく、名乗ることが誇らしい名前。

 

 

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名付け親

 

結び

ヴァイオレットにとって全ての始まりとなった、ギルベルトの瞳とエメラルドのブローチを見た時に感じた「美しい」という感情について、また彼女が引き受けた個々の代筆の仕事の話(特に5〜7話)については全く触れることが出来ませんでしたが、10話の放送までに間に合いそうに無いのでここまででアップします。この物語が最後にどこへたどり着くのか、本当に楽しみにしています。