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文化庁メディア芸術祭 相田裕×伊藤剛 対談レポート【GUNSLINGER GIRLが提起したこと】

文化庁メディア芸術祭受賞者プレゼンテーション

GUNSLINGER GIRLが提起したこと】

2013年2月17日東京ミッドタウン・タワー5F

相田裕×伊藤剛

 

伊藤剛氏は聞き役に徹し、相田裕氏の話がほとんどでした。思い出した順に書いているので、実際にこういう順番で話が進んだわけではないです。ちゃんとメモをとっておけば良かった・・・。内容の重複、抜けあり。うろ覚えだけど大きな間違いは無い、と思いますが明らかな思い違いがあれば指摘していただけると助かります。どちらの発言か思い出せなかった段落は 相田:or 伊藤:を特につけていません。お二人はかなりしっかりした打ち合わせを経て本番に臨まれたとのこと】

 

 

 

14:00- スタート

 

 

伊藤:まず、受賞おめでとうございました(拍手)こういうのは最初にやっておかないと忘れがちなので(笑)

 

相田:ありがとうございます(笑)もともと漫画の仕事をしていなかった。美少女ゲームのイラストの仕事をしていた。GUNSLINGER GIRLも同人誌で書いていたものが原型。あんまり商業的に展開することなどを考えずに、自分のために書いたもの。そこから良くここまで来た(笑)

 

漫画の文脈や技術をほとんど学ばずに業界に入った。初期はとにかく締め切りまでに作品を仕上げることに追われていたので、表現効果などに気を遣う余裕がなかった。1、2巻でのセリフの吹き出しが楕円ツールを使ったようなのは別に意識したわけではない。吹き出しを綺麗に書くのは意外と大変なんですよ(笑)。しっぽ(吹き出しから出ている、発言者を示すためのトンガリ)が最初は小さく、後半でははっきり書かれているのも自然とそうなったもの。結果、初期は映画的な表現になった。ヨーロッパ映画的な静かで淡々とした表現。11巻でのヴェネツィアでの鐘楼戦ではハリウッド映画のようになっている。

 

伊藤:画面が黒くなり、書き込みも増えた。

 

5巻以前はコマの枠線もしっかり書いていて、クールな印象というか、客観的で淡々とした印象を与えている。コマもあんまり冒険せず、水平か垂直に区切っている。後半の表現では変則的なコマも使用し、主観と客観が混ざる感じというか、ダイナミズムが出てきた。コマの境目を斜めにすると勢い、流れが生まれる、など(ベクトルの図示アリ)

 

 

相田画風の変遷は、完璧に意図したものでは無かった。特に6巻でキャラクターの頭身が全体的に高くなっているが、それはペトルーシュカのバレエの描写をリアルに描こうと思ったら必然的に頭身が高くなり、それに引きずられて他のキャラも頭身が高くなっただけ。書いていて苦しい時期だった。読者の中には、ヘンリエッタやリコが成長したのか、数年経過したのかと思う人も居た。6〜8巻のペトラ編でかなり変わって、それから9、10巻で初期の雰囲気に戻すように舵を切って、11巻以降は落ち着いているが、完全にコントロールしていたものではなかった。物語に合った絵の書き方を追い求めるうちに自然にそうなった。

 

伊藤:漫画家はみんなそうですよね。しかしそれが却って良く働いたかもしれない。

 

相田:イタリアの政治の話のリアリティを出していくためには、特に野郎どもは彫りが深くてリアルな造形にせざるを得ない。それと女の子たちのまるっこい可愛らしい造形をどう共存させるか、非常に苦しんだ。

 

コマ割り、初期は本当に未成熟。右頁と左頁でコマの切れ目がそろうのは、単調になってあまりよくないんだけど、けっこうやってしまっている(笑)。しかし、それがあの初期のすっとぼけたクールな感じを出していて良かったかも知れない。漫画的表現は今でも手探りでやっている感じがある。第2話でリコがホテルの男の子を殺すところ、「ごめんね」のページ、横幅が絞ってあるのは確か意図的に何かしらの効果を狙ってそうしたのを覚えている。

 

 

相田ストーリー面について。そもそも2〜3巻で終わる予定だった。それで1話完結の淡々としたエピソードを書いて終わりの予定。しかし、長く続くことになって、それで暖めていたアイディアを盛り込んでいくことになった。あらかじめ描きたいことはたくさん持っていた。

 

相田:2巻の途中くらいでとにかく資料が足りないことにほとほと困り、イタリアに取材旅行に行った。イタリアには4回くらい取材に行っている。そこではとにかく写真を撮りまくった。ホテルにチェックインしたらとにかく写真を撮りまくる。アシスタント1人と一緒に行った。ドアノブや窓ひとつとってもどうなっているか、窓はどうやって開けるのか、それも実際に見てみないと分からないので。例えばこのドアを開けてホテルの中を覗いたアングルの写真では(プロジェクターに表示)、そこからいろいろなイメージを膨らませられる。シーツが乱れているので何かあったのかな、とか。ただドアが開いているな、でも別にいいけど。鐘楼の写真(表示)。ヴェネツィアには是非聖地巡礼で入ってほしい(笑)。素晴らしいところなので。鐘楼のてっぺんの鐘が吊り下がっている所、写真と同じアングルで人物とミサイル(爆弾)を追加して漫画に使っている。写真はとにかく撮りまくって、もちろん使わないこともあるけれど、無いと後からではどうにもならないので。アシスタントにも写真を渡して「これ書いて」と言えるし。

 

 

イタリアの街角で60歳前後のおじいさん4人が座って話している写真、それだけで絵になる。マフィアのトップの会合と言われてもおかしくないような(笑)。ふつうのおっさん達でもそういう雰囲気がある。実際に見てみないと分からない。

 

相田:背景を描く時も、ファンタジーを作るのがすごい上手い人がいる。しかし自分にはそういうセンスは無い。そこは割りきって、「義体」など設定面でかなり大きな嘘(フィクション)を盛り込んでいるので、それ以外のところではなるべく現実世界を忠実に再現しようとしている。リアリティのバランスをとるために。

 

3巻以降、ピノッキオを出したあたりから物語が広がってくる。ピノッキオが義体たちと対照的な存在というのは強く意識している。あんまり関係ないようなキャラを出しても散漫になるので。それで、ピノッキオとフランカとフランコのことが好きになりすぎちゃって(笑)、これは困った、あくまで主人公たちの話を掘り下げないと、と思い5巻でピノッキオたちの話は終わらせた。

 

相田:6巻でエリザベータの話、バレエの話を書く時は実際にバレエを見に行ったり、バレエ漫画の過去の名作を多く読むなどかなり取材した。日本では、バレエのイメージはなんというかパロディ先行というか、コメディアンが白鳥の湖のコスプレをして笑いをとるような、一般にはそのくらいのイメージしか無いと思うが、欧米では本当にトップアスリートかつアーティストというか、ピンのバレエダンサーはそういう特別な存在。参考に読んだ漫画としては、スワンとか。

 

伊藤:4コマぶち抜きの立ち絵、1957年の漫画(タイトル忘れた)が最初。

 

踊っているときの手が他のコマにかかるとか、そういう表現も意識的に取り入れ始めた。

 

 

相田15巻、ラストについて。あの締め方は賛否両論だった。しかし全ての人を納得させるラストは作れないと思った。最終回のプロットは何パターンも作成して、毎月編集と話し合った。スペランツァが普通の少女で家出をして、というパターンも作ったが、結果的にああいうド派手な話になった。スペランツァについて、ギフテッドで大学飛び級、グラミー賞、とまあ出来過ぎというかあざといというかブチ込みすぎというか(笑)、やり過ぎな設定ではあるが、しかし10年かけてかなり風呂敷を広げた作品なので、その締めくくりとして10年分の重さを引き受けるにはそれくらいがちょうどいいと感じた。

 

イタリアで最終回を迎えるプロットも作ったが、それだと他のキャラのその後が気になってしまうので。最後の舞台をアメリカにしたのも、過去ではなく未来を見るためにも適した設定、国だと。

 

伊藤:(最後のページ、スペランツァが天に手を伸ばしているところを表示)すばらしい締め方だった、泣いてしまった。

 

15:00 閉会

 

・・・・・・・・

 

途中でお二人が「打ち合わせとちょっと違うけれどまあいっか話戻っちゃうし(笑)」と話していたので当初の予定からは少しずれて進行した感じ。

 

画風の変遷について、どういう意図を持ってそうしていたのか、が特に気になっており、そこの周辺が概ね語られていたので十分に収穫があった。また、コマの作り方や効果音など漫画的表現の話にかなり時間を割いていた。あれ同業の人が聞いたら一番面白いんじゃないかな。

 

もしも質問時間があれば10巻でトリエラが気を失っているヒルシャーに抱きつくシーンで後ろにかかっている絵についてお聞きしたかったが、残念ながら(質問時間は)無し。

 

GUNSLINGER GIRL 10 (電撃コミックス)

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