「生き続けること」を恐れない地球人類 - 「翠星のガルガンティア」感想

絶讃記事です。

 

 

第1話でドハマりして以来ずっとハラハラしながら見てる。すげえ面白い。現在第8話まで見て、いよいよ物語もクライマックスに向けて加速してきた感じ。ここまでのところは特に1、4、7話が盛り上がる作りになっており、それ以外の話も地味ながら最後につながる重要なステップになっているのが感じられて、シリーズ作劇のお手本のような作品だなあと勝手に思っている。別にウェルメイド=つまらないってことでは無いな、という当たり前のことを思い出させてくれる。事前情報はキャラ原案が鳴子ハナハル、脚本が虚淵玄が担当ということ以外は仕入れず、大分フラットな状態で作品に入ることが出来た。なかなか幸福な視聴体験が出来ている。以下ネタバレあり。

 

 

「世界」をまるごとひとつ創る楽しさ(第1話)

 第1話のAパートでは何やら人類と敵対する強力な生命体「ヒディアーズ」(BETAを思い出した)の掃討作戦が描かれており、人類はロボットに乗ってそれらと戦っています。しかしどうにも旗色は悪く(ずっと劣勢なんだろうなあ…)、主人公のレドは命令に従いそこでの戦闘を終えて逃げ帰ります。しかし上官の犠牲があったにもかかわらず母艦への帰投は失敗、ワープ装置の力もあり宇宙のどっかその辺に放り出されてしまいます。Bパートで目覚めてみたら半年もの時間が経っており、聞いたこともない言語を話す種族に取り囲まれ…という流れ。

 制作側の気合の入れようがロス無く伝わってくる第一話で、まったくもって見事な導入だった。第一話を見た時点で「あ、これは傑作確定ですわ」と感じられたのは久しぶりだった、というかあんまり記憶に無い。まあ物語の方向性もまださわりしか見えてない状態で傑作も何も無いじゃんと言われたらそれはそうなんですが、あれだ、まず作品の舞台となる世界およびキャラクターの描写の確かさ(宇宙でのヒディアーズとの戦闘での宇宙戦闘ガジェットの作りこみ具合、戦闘時のレドのある種淡白な対応、ガルガンティア船内構造描写、それぞれに全く理解不能のものとして聞こえる地球語と人類銀河同盟の言語などそして何よりガルガンティアの船上に出た時の、レドの驚愕と「外の世界」の美しさ、レドの手を離れたグレイスを腕に乗せて半身になって身構えるエイミーの仕草)が図抜けていたのでそれだけでもうやられてしまった。あの辺の強烈なインパクトで「この世界は確かに存在する」と脳味噌のどこかで自然と了解してしまった。それ以降のストーリーがスムーズに入ってくるのはこの第一話の見事さに拠る所がデカイ。

 

レドの行動原理、ガルガンティア船団員の行動原理(第4話)

 レドは所属していた「人類銀河同盟」において優秀な戦士であったことが第1話でチェインバー(パイロット支援啓発インターフェイスシステム…まあ要はAI、あるいはナイトライダーのキット)によって語られており、彼の思考様式は人類銀河同盟の標準的なもの、あるいは推奨されているものだと思う。第4話でのベベルの対話の中で、レドは「人類の安定的発展のために、その宿敵であるヒディアーズの殲滅が必要不可欠」と語っている。これが真実ならば究極の目的は「人類の安定的発展」であって、「ヒディアーズの殲滅」はそれを達成するための手段に過ぎない。しかしベベルはレドが気づいていない矛盾にすぐさま気づき、問いかける。「でも、それならヒディアーズを全部倒したら、銀河同盟はどうなるの? レドさんはどうするの?」返答に困るレド。なるほど、人類銀河同盟は(少なくともレドは)ヒディアーズを殲滅することで人類の安定的発展の達成を望んでいたはずだが、実際はヒディアーズの殲滅が最終目的になっている訳だ。さらに言えば、自分たちで生きる目的を定める権利を放棄して、「ヒディアーズの殲滅」という誰も否定しようが無い目的を自動的に採用しているだけ。そしてそれに気づいていない(人類銀河同盟の他の構成員はどうなの?という疑問は残る。第1話で犠牲になったクーゲル中佐なんかはその共同体の矛盾に気付きつつも職務を全うする大人なキャラに見える、というかそっちの方が萌える)。返答に困ったレドは、恐らく軍規に載っているだろうことをそのままベベルに返す。「別命あるまで待機」と。それを聞いたベベルはそれを否定するのでは無く、「僕達と同じだね」と笑顔で返す。「待機って、生き続けるってことでしょう?」

 ガルガンティアについて謎だらけなレドにエイミーが「船団一の物知り」と紹介したオルダムが「そういうことならベベルに聞けばいい」と振っているので、ベベルの存在がこの船団の思想を象徴していると見て大きな問題は無いと思う。まず、ベベルは胸に病気を抱えており、他の子どもと同じように元気に外を出歩くことができない。それほど長くは生きられない体なのかも知れない(妄想)。しかし、ガルガンティアにおいては、だからといってその存在に価値がないということにはならない。というかそもそも絶対的にはあらゆる存在に等しく価値が無いということをベベルは正しく了解している。その上で、ベベルは自分の価値の消尽点を知っている。姉のエイミーと共に生きることがそれである。エイミーとベベルは(おそらくは両親がいないことも相俟って)お互いがお互いをかけがえのない存在として必要とし合っている。それは誰かが保証してくれる絶対的なものではないけれど、この二人にとっては何よりも確かなものとして二人を支えている。ベベルは、ただ「生き続けること」を恐れない。おそらくは、ガルガンティアも、ガルガンティアの他の船団員も。

 

離れるもの、残るもの(第7、8話)

 古くはバベルの塔、現代では宇宙開発に代表されるアレです。フロンティア開発の話です。とにかく「遠くに行きたい」衝動の話です。人間の一番の病かつ魅力だと思うんですが。

 第7話冒頭でレドがクジライカ(=ヒディアーズ)を殺したことを発端にガルガンティアを離れる決断をするものが現れ、レドはチェインバーと共にその離脱組に加わります。レドはその理由を「現在は地球人類に対して無害でも、将来ヒディアーズは必ず人類の存在を脅かすようになる。エイミー達がこの先も安心して暮らしていけるよう、俺が今のうちにヒディアーズを倒す」と語ります。自身が人類銀河同盟に戻ることが事実上不可能と知った後でも目的を地球のヒディアーズの殲滅にスライドさせられるあたり良く教育されているなあと思う。しかしその目的の背後に、守るべき存在としてのエイミーやガルガンティアの船員の顔が浮かぶようになっているようなので、目立たないながらも劇的な変化が彼の中にあったことは伝わってきます。良かったね。

 エイミーにはレドの決断が納得出来ない。「クジライカはこちらから手を出さなければ安全なのに。守るためなら、一緒にいてくれればいいのに」と。まあ本当にクジライカが「放っておけば安全」かどうかは確かめようが無いんだけどね。ひとつの信仰に近い。「決してこちらからは手を出さない」という心がけは貴いとは思う。人間世界ではそこにつけこむ輩が腐るほどいるから対人関係でのそのポリシーの採用は慎重を要するとは思いますが。国家間では通用した試しがない。異種族間ではどうかな、微妙なところ。

 行ったことが無い所に行きたい、見たことが無いものを見たい、体験したことが無いことを体験したいという衝動は人間の本当に根深い欲求で、これに蓋をするのは難しいし、必ずしも蓋をすべきものとは言えない。勿論正反対の「安心したい」という欲求と裏表ではあるんだけど。また、遠くに行きたい欲求も、未知の分野を減らすことで安心を得たいに過ぎない、という説明もできる。何にせよ極度の興奮と極度の鎮静を、その端っこまで行きすぎない程度に行ったり来たりして人間は生きている。

 ピニオンはその動機がフロンティア開拓と兄の弔い合戦とが混ざってるのでまた少しややこしいが、離脱組は遠くに行くことでその欲望を満たそうとする。残留組は変わらない日常を選ぶ。離脱組の代表はピニオンとフランジ、レド。残留組の代表はもちろんリジットと、離脱組を見ながら「あのバカどもが」と惜しむベローズやその隣に立つエイミーなど。それぞれの陣営の象徴的な存在を男性と女性で綺麗に分けているのは古典的なイメージに合わせたのかな。あるいは「男性性」「女性性」を端的に表しているのか。

 まんまヴィンランド・サガの奴隷夫婦の話とオーバーラップして少し悲しくなった。

 

ヴィンランド・サガ(12) (アフタヌーンKC)

ヴィンランド・サガ(12) (アフタヌーンKC)

 

 離脱組の選択が全くの間違いだとは俺は思わない。これ以降の展開に注目しています。

 

地球の盟主ではない、脆弱な存在としての人類(第7話)

 そもそもフェアロック船団長始め人類がクジライカを攻撃しないのは、まともにやりあっても敵わないから。人類はあの地球上では最強の存在ではない。この作品を見る時、宇宙空間でヒディアーズと年中ドンパチしている人類銀河同盟の人類が私達とは常識が全く異なる存在であるのと同時に、ガルガンティアの人類も全く違う常識を持った存在であることに気をつける必要がある。ガルガンティアの世界の地球人類は、まず土地を、大地を所有していない。一番長い所で測ってもせいぜい数キロメートルの、ツギハギの鉄の塊が寄って立つ全てだ(ガルガンティア以外の船団の事情はちょっと分からないのでひとまずそれは措きます)。かつ、道具を使っても敵わない、自分たちよりも強い存在がいる(クジライカ)。そりゃあ謙虚にもなれば日常の価値をより大事にもするわなあ…。第7話のフェアロック船団長の「全電源を停止、クジライカをやり過ごす」という判断では、刀を持った侍の前で首を晒して頭を垂れる人のイメージが湧いた。そうすることでしか守れないものもある。バガボンドの宍戸梅軒の命乞いを思い出した。

 

バガボンド(13)(モーニングKC)

バガボンド(13)(モーニングKC)

 

まとめ

 これまでで特に印象的だったところを書きだしてみた。第8話のフェアロックの葬送も素晴らしかったし、作品のテーマが浮き彫りになる話だった。第1話でレドは過去か未来に飛ばされたんじゃないか、など他にも色々と話題になっているネタはありますがとりあえず終えます。何となく未来に飛ばされてるんじゃねーかなーとは思うけれど。そんでレドの考えた通り、レドがヒディアーズを地球に連れてきてしまって、どれだけ少なくとも50年以上(念仏唱えてたじーさんばーさんが子供の時には既にクジライカは存在している)は時間が経っていて…という妄想はしている。まあ未来に飛んだならもっと派手に1000年後とかかな。未来に行くのは「猿の惑星」と同じ理屈で。

 

猿の惑星 [DVD]

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 特に目新しいテーマを描く作品ではないと思う。結末も、あるいはありふれたものになるのかも知れない。しかし、それが常に作品の価値を落とすわけではない。人は何故生きるか、本能的に何を望むのか、その辺のでかすぎるテーマに丁寧かつ真摯に取り組んでいる作品だ。残りも楽しみにしている。

 「快楽天ちゃん」と一部で話題の鳴子ハナハル原案のキャラデザに触れるのを忘れていた…。みんな大変健康的なふとももをしており、ご飯を美味しく食べそうな感じで大変良いと思いました(KONAMI)。あと多分10年くらいぶりに快楽天を買った。ベローズがぶっちぎりで好きです。