「本当の願い」をつかむ難しさについて。 / 劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語 感想

短めに。ネタバレあります。

 

 

初見での感想は「TV版、昨年の劇場版までの話を上手に裏返して語り直し、かつ少しだけ先に進んだな」といったものだった。大変論理的に綺麗に裏返しており、ここにこそ虚淵さんらしさを感じた。1回見ただけではよく理解できないところもあったので、約2週間後にもう一度見に行った。他人の感想は全く読まなかった訳では無いがなるべく読まない様にしていた。読んだのはシロクマ先生がこれまで公開している3つの記事(http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20131027/p1; http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20131106/p1; http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20131108/p1)と、スナヲさんの『Fate/Zero』と絡めた批評(http://sunakago.hateblo.jp/entry/2013/11/04/100040)と、ミスタさんの感想(http://miyanantoka.blog86.fc2.com/blog-entry-584.html)。あ、あとは萌えオタニュース速報の公開直後のまとめ(http://otanews.livedoor.biz/archives/51965523.html)も読んだか。

 

2回目ではかなり注意して見た点がある。「なぜほむらはラストの改変世界においてあれほど辛そうなのか」。目が死んでいる、クマだかシワだかが凄い、お前は水銀燈か? 自分の思った通りに世界を改変したのではないか、せめてお前くらいはもう少し嬉しそうにしないと合わないだろう…と。要は彼女は自分の欲望に則って願いを叶えたと思ったら、実は全く叶っていなかった、というか自分の願いを正しく把握していなかったんでしょうね。

 

ほむらがラストシーン直前の改変された世界で、死んだ目で転校していくるまどかを迎える。自信なさげにオドオドしているまどか。ほむらは一見まどかを助けたようでいて、実は鳥の片翼を折ってカゴの中に閉じ込めるような真似をしてしまったのではないか。自分の愛する存在(まどか)がその本質を全うするのを妨げてしまっていないか。それをほむらもうすうす気付いていて、あの死んだ目はその罪悪感あるいは不安からのものだろう。そうした負い目からだろうが、「この世界が大切? 個人の身勝手な欲望で秩序を乱すのは悪いことだ思う?」とまどかに問うたのは誠実だな、と思う。そこでまどかは秩序を乱すことは悪いと思う、すなわち「円環の理」を肯定する旨をほむらに伝える。

 

しかしミスタさんが上リンク記事内で言及されているように、ほむらの決断を支える倫理的根拠になっている丘の上でのまどかとほむらの対話でまどかが「概念(円環の理)になって一人ぼっちになるのなんて怖いこと私が出来るわけ無いよ」とほむらに言うシーンについてだが、ほむらの後ろ髪の半分を三つ編みに結いながらほむらを慰めるところ、あれがまどかの本心なのか、あるいはほむらの願望or妄想なのかという点は、うーんこれは本当に難しいところだよな。俺はこれはほむらの願望だけとは言い切れない、すなわちまどかの本心が多分に含まれていると思う。その根拠はほむらが画面からアウトした際に、ソロでまどかのセリフがあるから。俺はあの演出が、一連のシーンが単なるほむらの願望ではなく、ある程度の客観性を持つことを担保していると思う。セリフは「どうしたんだろ、ほむらちゃん…」だったっけ。その後にキュウべえの顔のアップが映るあのシーン。

 

上の2つのシーンで、鹿目まどかの発言は相互に矛盾している。しかしこれはまどかに一貫性が欠如しているというよりも、前提としている知識の違いに原因があると思う。彼女はTV版、そして「永遠の物語」までの劇場版において、キュウべえに「これまでの全ての魔法少女が味わった絶望を追体験させられる」という、どう考えても過分に重い知識を強制的にインストールされている。対して「叛逆の物語」でのまどかはそのような理不尽を背負ってはいない。これだけ条件が違えば判断に違いが出ても不自然ではない、というか当然のことだろう。こうしてまどかの「本当の願い」も良く分からなくなる。場合によって、前提とする知識によって異なる、くらいしか言えない。あ、そういえばほむらは「まどかがキュウべえに『全ての魔法少女の絶望を追体験させられていた』」という事実を知らないはずだよな…。これ結構大事なポイントのような気がする。

 

ほむらの本当の願いに戻ると、少なくとも「まどかの意に反することはしたくない」とは言える。ラストシーンの死んだ目と、まどかの答えを聞いた後のスッキリした顔を見る限りでは。しかしこれもあっち立てればこっち立たずで、まどかの希望を聞いてからその望む方を選択する、というのが出来ない世界なんだよな―。結果的に全て裏目に出ているからタチが悪い。すげーカッコつけて言えばほむらの願いは「愛する人(まどか)の本質を全うさせてやりたい」になると思うんだが、これがどうあがいても不可能な世界になっている。

 

そういう訳で自分の「本当の願い」を認識することがいかに難しいか、いわんや他人のそれに関してはもう分かるわけがないというか、ホント無理ゲーもいいところである。それでも決断は下さなければならないしやり直しはできないし。ほむらの場合やり直しができてもそれでもことごとく裏目に出ている。不憫にも程があるわ。

 

続編作成可能な仕様で〆てはいるけれど、単に凡庸にバランスを取ることだけを目指すならばわざわざ作る価値は無いと思う。「永遠の物語」までと今回の「叛逆の物語」で一つの物語素材を両サイドから語り尽くしているから、この2方向で付け足すことは特に無い。もしもどうしても作るというのならば、全く違った理屈を挿入する、あるいは世界を新しく作る必要がある。あと、少し時間を置いたほうがいいと思う、観客の成熟を待つために。

 

 

《雑感》

マミさんカッコいい! さやカッコいい!

特にこの二人は本編TVシリーズでの扱いが酷かったのでこうして魅力的なところを拾ってくれるとなんだか嬉しい。というかマミさんあまりにも強すぎないか? 物理的にも気配的にも消すことが出来る伸縮自在のリボン、本物と判別不可能な人形も作成可能とかヒソカのバンジーガムを凌駕するレベルのチート装備では…? 汎用性高すぎる。他の魔法少女の装備とは一人だけ明らかに次元が違いすぎる。

さやかにこれほど重要な役割が託されるとは思っていなかった。ほむらと(曲がりなりにも)対等に話せるのが最終的には彼女だけになるとは。続編があるとしたらさやかには主人公レベルの活躍が見込まれる。あと変身シーンのブレイクダンス、初回も2回目も笑いを抑えるのが大変だったし、目だけ写すあの演出も可笑しすぎて苦しいからやめていただきたい(やめろとは言っていない)。

 

ケーキの歌、恥ずかしくて死にそうになった。

 

「ピュエラ・マギ・ホーリークインテット!」これの練習風景のビデオあったら買いますよ。コレオグラファー気取りのマミさんちょう見たい。

 

フィルムはなんかよく分からん(ほんとにどこか分からない)風景シーンでした。グリーフシードが濁りました。

 

すいません3000字超えてました…