GUNSLINGER GIRL感想その2「ソフィア・ドゥランテ=相田裕」説
今日仕事でイタリア語のテキストをたまたま読んでいて、そこで「durante」って単語が目に入った。そういえばガンスリのソフィアって「ソフィア・ドゥランテ」だったな。「ドゥランテ」のスペルもこれと同じかな? とぐぐってみたら同じっぽい。
ソフィアって名前はくっそメジャーで「知恵」とか「知識」とかそういう意味です。「哲学」って言葉の日本語訳される前の原語は「フィロソフィア」で、「フィロ」が愛する、「ソフィア」が知恵。知恵を愛する学問、で哲学です。だから例えば「愛知学」とかの方がいちおう原義に忠実な訳ではあるんけどねー、語呂がイマイチだよなあとかそんな哲学史の一番最初の授業で習うようなうんちくですいません。
で、「ドゥランテ(durante)」ですが、英語にすると「during」です。一定の期間を表す表現を後ろにつけて「〜の間」というくらいの意味です。
・・・ん? 間? あいだ? 相田? 相田裕?
そうか・・・! 分かったぞ!
ソフィア・ドゥランテは作者の相田裕が自身の根本的な思想を体現するために用意した、作中最重要キャラクターだったんだよ!(AA略)
半分本気です。
このソフィアってキャラクターはこの作品ではかなり異質なんですよね。他の全員が何かしらの影を背負っているのに、この人だけはすごく明るく、まっとうに日常を生きている。まあ登場人物が影を背負う原因となる「クローチェ事件」の前に生きていたキャラクターだから当然といえば当然なんだけど、というかその事件で死ぬから影を背負うも何も無いんだけど。『GUNSLINGER GIRL』のキャラクターというよりは同じ作者の同人誌『バーサス・アンダースロー』のキャラと言ったほうがしっくり来るくらい。そういえば『バーサス・アンダースロー』の発表時期とソフィアの登場時期ってほぼ重なるんですよね。(『バーサス・アンダースロー』は2009年5月5日初出、ソフィアが登場する『GUNSLINGER GIRL』11巻は2009年7月に初版発行)
で、GUNSLINGER GIRLとバーサス・アンダースローが二つで一つ、裏表のような存在になっている、という話をペトロニウスさんが年始のラジオでされていたと思います。
『GUNSLINGER GIRL』 相田裕著 静謐なる残酷から希望への物語(2)~非日常から日常へ・次世代の物語である『バーサスアンダースロー』へ
『GUNSLINGER GIRL』を連載していた10年間で、作者はかなり意識的に順次テコ入れをしていったと思います。やたらとパセティックで、美しいけれどどこにも繋がっていかないエピソードをひたすら積み上げていった1〜5巻(俺はこのパートも好きです。5巻でのトリエラVSピノッキオ戦の激しさ、ピノッキオを殺して嬉しそうにヒルシャーに語りかける犬のようなトリエラ、あそこは作中屈指の名シーンだと思う)が先ずあって、このままではどん詰まりだ、と相田さんは感じたんじゃないかな、6巻で一気に世界観を広げて本格的なテロとの戦いを語り始めます。そしてペトラとサンドロを引っ張りだして、それまでどこか他人事を眺めているかのような冷めた雰囲気が漂っていたこの作品に「激情」を挿入することに成功している。8巻のラストでペトラがサンドロに、「条件付け」の作用で吐きそうになりながらも悪態をつくところ、ここを読んでこの作品にハマったことを今でもよく覚えています。
そして9巻から12巻にかけて、最終決戦の前の最後の準備としてのストーリーが語られ、11巻でソフィアが登場します。といっても全ての発端となったクローチェ事件の回想という形でですが。11巻から12巻にかけて、ページにして1巻分にも満たない登場です。ここではクローチェ事件以前の、ささやかながらも懸命に、そして幸福に生きるソフィアの姿が描かれています。今から思えばこのパートは、最終決戦後に登場人物たちがどう生きていくか、世界はどう続いていくか、どうなって欲しいか、についての作者の希望だったんじゃないかな。それは最終巻でのスペランツァの存在に繋がっていきます。もっと言えば『バーサス・アンダースロー』の根本思想にも繋がっていると思う。
この一巻分にも満たない登場での彼女の表情がまああまりにも豊かで鮮やかで、本当に素晴らしい。作者の絵描きとしての力量が存分に発揮されています。1巻を読んだ時にこの化けようは想像できなかった・・・。
自然体ソフィア
フィアンセのジャンの親父に「息子のどこが気に入ったのかね?」と聞かれて「優しいところです」と答えるソフィア。フィアンセのジャンの両親と初顔合わせのソフィアは、緊張してずっと汗をかいているんですよね。それがここでは汗が引いている。
緊張ソフィア
自分が仕事をしている理由を聞かれた時は引け目を感じてそれらしいことをでっち上げようとしたり、かなり無理しています。でも、「ジャンのどこが好き?」と聞かれた時は正直な思いを言うだけなので、何の気兼ねもなく自然に、でも少しの照れくささを感じながら話している。これが絵だけで十二分に伝わってきて、俺は悶えた。
次いきます。
フィアンセのジャンの妹のエンリカに冷たくされてむっとしているソフィア(右コマ)、そして「いや、だめだだめだこんなことでくじけてどうする。ジャンと約束したたじゃんかエンリカちゃんと仲良くなるって!」と気合いを入れなおすソフィア(左コマ)。頑張れソフィア!
極めつけはこのシーン。
ここでソフィアはエンリカの心を開くことに成功しています。これ以降はソフィアとエンリカは本当の姉妹のように仲睦まじくやっています。どうしてソフィアはエンリカと仲良くなることができたのかなーって考えると、ここでソフィアがちょっと不安も抱えているからだと俺は思うんです。ソフィアは、エンリカと仲良くなりたいと思ってはいるけれど、100%仲良くなれる確信は持てていない。エンリカは一人の他人だから、こちらがいくら歩み寄っても拒絶されることはありえる。仲良くなれることを信じて行動するしか無いんだけど、それを最終的に決めるのはエンリカです。そういうことをわきまえていて、拒絶されることに少しの怯え(?)のようなものを感じながら、相手に傷つけられるかもしれない弱い自分をその場に差し出して、エンリカに関わっている。こういう相手は俺は信頼できると思う。これが逆にポジティブ100%で「俺は必ず相手に受け入れられる」とか確信している人間は俺は苦手です。他人ときちんとした関係を築くためには、自分の脆弱性を放棄しないことが死活的に重要だと思っています。
まあそんな感じで相田先生の画力はとんでもないですね! 絵で全てを語ってしまっている。別にここに限らずいくらでも例はありますが疲れたので終わります。こうした何気ない表現の凄みを堪能するには『バーサス・アンダースロー』を読めばいいんじゃないかな! 一昨日上野に藝大卒展見に行った帰りに秋葉原メロンブックス寄ったら総集編まだ売ってましたよ(ステマ)
「ソフィア」がゲシュタルト崩壊。
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