もこっちのモテっぷりには納得しか無い【わたモテ感想】

 

ネタバレはほぼ無しのわたモテ感想です。

 

1、きっかけはクリロナ 

 

私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』(以下「わたモテ」)の面白さが常軌を逸している。この「面白い」はカルト的な、狭い範囲のオタクに向けた面白さ、ではない。この作品を寄生獣ベルセルクなどと並び称する人がいたとしても驚かないし、もし自分が中学生だったら卒業文集の尊敬する人の欄に「黒木智子」と書いていたかも知れない。そういうレベルの作品だ。

 

私がわたモテを1巻から読み始めたのは今年の8月末。ガンガンオンラインで最新話を追うようになったのは7月初旬の加藤さんクリロナ回(喪137)からだが、この時は最新話をサラッと読んだだけなので当然その複雑すぎる人間関係を全く理解できず、面白いもつまらないも無かった(クリスティアーノ・ロナウドのことは別に好きではないが強くリスペクトしている〈はねバド理論〉ので、Twitterで話題になっていたのを見て気になり読み始めた。性格がめちゃ良い人間の言動がクリロナに似てくるというのが納得度高いしクソ笑える)。そうして数話ほど最新話だけを読んではモヤモヤを積み重ね、ついに我慢できず1巻に手を付けた。2〜3日ほどで13巻まで一気に読了した、信じられない体験だった。こんなに面白い漫画が存在して良いのだろうか?

 

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尊敬せざるを得ない

  

隙あらば腹筋を見せつけてくる変態天才サッカープレーヤー

 

 

2、何故これまで読まなかったのか

 

1年位前からネット上で「わたモテが面白い」という噂をポツポツと聞いてはいた。聞いてはいたが、正直あまりまともに受け止めてはいなかった。なぜなら、5年前に見た(or読んだ)わたモテのアニメと原作をあまり楽しめなかったからだ。「男オタク(作者)が自分の暗黒面を架空の女オタクぼっちに仮託した痛々しいギャグ作品」という程度の認識しかなかった(作者の谷川ニコ先生は原作男性で作画女性の2人組なのだが、5年前はそれすら知らなかった)。 そしてそのぼっち自虐芸(?)も真に迫りすぎていてあまりに心臓に悪いというか、見ていて面白さよりも辛さが勝っていた。何よりも「極々限られた層だけに向けた作品」という印象を強く受けたので、原作漫画が方針変換に変更してめちゃ面白くなった、という評判を聞いてもなかなかそれを信用できなかったのだ。

 

そうした頑固な思い込みがあったにもかかわらず今になって読む気になったのは上記のクリロナ回の噂と(クリロナは偉大なので)、あとは『喧嘩稼業』との類似の指摘だ。喧嘩稼業も現代最高の漫画の一つだが、同じく喧嘩稼業にどっぷりハマっている漫画読み達がこぞって絶賛しているのを見て、ただごとではない、と感じた。喧嘩稼業と似ている百合ハーレム漫画? なんだそれは、そんなの俺は知らない。そもそもあの漫画に百合ハーレムになる可能性なんてあったっけ? 気になる、この5年で一体何があったんだ。。。こんな流れで陥落しました。 喧嘩稼業が好きならわたモテを読もう! 

 

 

 

 

 

3、「世界の全て」を描くことを志向している

 

わたモテに描かれているのは、ほんの少し(ほんの少しです)自意識過剰で人付き合いが苦手な女の子、黒木智子ちゃんの高校三年間の人間関係だ。黒木智子という一人の女の子が、自分のコミュ障ぶりに悪戦苦闘しながら、血を吐くような苦しみを通して(7巻までのエピソードのほぼ全てが読むだけでこっちも死にたくなるような失敗談オンリー)人間関係を構築し、少しずつ楽しい高校生活を送れるようになっていく。

 

一人の女子高生の人間関係、そんなパーソナルに過ぎるテーマの作品を寄生獣ベルセルクを引き合いに出して評するなんて大げさでは? という意見もあるかも知れません。でもわたモテを読んだ時の感動のデカさってそうした歴史に残る傑作に匹敵するんだよな。根拠としてはそれしか無いんだけど、それで十分とも言える。考えてみれば人間関係うまくいっていない人間が少しずつ少しずつ上手くやっていけるようになる、これ以上に共感できてかつ壮大なストーリーってあるか? 超ど真ん中ストレート普遍的な物語もいいところでは? 一見些細なこのテーマが普遍性を持つこと、そしてこの黒木智子という女の子を通してそれを描くことが出来ると気づいたこと、実際に真正面から描ききっていること。谷川ニコ先生の手腕には尊敬の念しかない。天才ですよ。 いつもエグい下ネタで話を締めてくれるところも信頼できる。

 

 

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何のことでしょうね

 

 

4、横着せず1巻から読もう

 

これからわたモテを読み始める人に対して、「1〜7巻は人によっては読むのが辛いだろうから、本格的に人間関係が動き出す8巻から読むのが無難」という勧め方をよく目にする。実際7巻まではマジで読んでるこちらもしんどいエピソードのオンパレードなのでその勧め方にも一理ある。でも、せっかくなら俺は1巻から読む方が贅沢な体験だと思うな。まずはガンガンオンラインで公開されている最新2話を読んで、もこっちの充実した姿を見て最低限の安心ポイントを貯める。その上で1巻にダイブ。7巻までもこっちにとっては試練の連続ですが、その苦しみはすべて最新話につながっている。大丈夫大丈夫、ギャグもキレッキレで案外、というかめちゃ楽しく読めるから。それでも駄目そうなら8巻にワープして読めばいいじゃない。

 

どうして最初から読むことを強く勧めるかというと、そうした方が後々の感動がデカイからです。あまり詳しく書くともったいないのでぼんやりした書き方になりますが、ひとつの総決算になる12巻でそれを実感できると思う。 ぜひ読んで確かめてくだされ。

 

 

  

 

5、もこっちモテのリアリティについて

 

news.nicovideo.jp

 

ここからが本題ですが(遅い)、このエントリを書いていたらちょうどTwitterで上の記事が流れてきたので読みました。2013年1月、かなり昔の記事で、今のもこっちモテモテ展開を見た後ではなんとも興味深い。

 

よくマンガで「モテない」と言いながら、なんだかんだいって、同性にも異性にも「モテてる」キャラクターっているじゃないですか。嫌いなんですよ、そういうの。

 

過去にこうまで語っていた谷川ニコ先生にどういう心境の変化があったかは分からないが、俺は「もこっちのリア充化には特に不自然さを感じなかった」。なんで自然に感じられたのかなーと振り返って考えてみると、その理由は1〜7巻で散々もこっちのクズさ加減を見せられてきたから、となる(?)。何を言っているか分からないと思うが、俺も(以下略)

 

いや、ホント何言ってんだという話なんだが、これは正直な感想だ。連載期間にして約4年間分、あれだけひどいエピソードの宝庫を見せつけられたら、どれだけモテにモテても納得できるんだよな。喧嘩稼業のひどい下ネタが感動エピソードの説得力を支えているのと全く同じ理屈だ。ほら真面目な人が真面目なこと話してても胡散臭いだけじゃないですか。真逆の性質を併せ持っているからこそ耳を傾けようという気になる。芝原剛盛も「光と影を行き来できる者が一番強い」って言っているしな。積もり積もったクズエピソードの全てが、今のもこっちモテを支える理由として立ち上がってくる。このことに何故谷川ニコ先生は気づけたんだ、天才としか言いようがない…

 

これは大概メタい話なので、物語の他の登場人物の視点からも考えてみる。その場合のもこっちの魅力は、何より正直であること、ちゃんとやろうとしても全くちゃんとやれてない隙だらけなところ、ちっちゃくてかわいいところ。あとはなんだかんだで「一人になることが出来る強さ」を感じるのかな。もこっち以外の他の多くのキャラクターも大なり小なり高校生活の中で人間関係が絡まってめんどくさいことになっており、もこっちの存在はその彼女らから見て鮮烈に映ったのではないか。

 

あとはやっぱりもこっちが「モテることを諦めなかった」からかな。「諦めたらそこで試合終了」とは言うものの、言うは易し行うは難しで、何度チャレンジしても常に失敗してしまうならば諦めてしまっても不思議ではないですよ。それでももこっちは諦めなかった。エントリ冒頭でもこっちを尊敬すると書いた理由はやっぱりこの不屈の精神力です(勿論これは彼女の超良好な家族関係や、周りの人間の優しさによって支えられている訳だけど)。これがあるから実際にモテるようになったら見ててこっちも嬉しいし、応援したくなる。こうした諸々の相乗効果で、もこっちの人生が楽しく幸せになっていくことを自然に受け入れられる。百合ハーレムで人気をV字回復させた本作だけど、もこっちは一貫して異性愛者だし、これからはきっと男にもどんどんモテていくんでしょうね。

 

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黒木智子は諦めない

 

 

6、吉田さん

 

最後に、私が特に好きなのは吉田さんです。吉田さんはかわいい、とにかくかわいい…… ヤンキーなのに隠しきれない育ちの良さ…… そこそこ(多分)の進学校に通える程度の学力…… 性知識が小学生レベル…… 最高……(語彙が無)

 

吉田さんがいなければ、正確には吉田さんの乳首がもこっちにとってつまみやすい雰囲気を醸し出していなければ(事実)、現在に至るもこっち百合ハーレム王国は為らなかった、いわば建国の祖である。

 

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その時歴史が動いた

 

あと12巻での卒業式回でもこっちの手を引いた、あの、あのムーブがね……。彼女がいなければもこっちが人の優しさに気づく機会は無かったのかも知れない。物語を動かすパワーのある女だ。最近の更新ではこれからヤンキーグループとの絡みも増えていきそうな描写もあったし、ますます楽しみ。

 

「この名に恥じないように生きる」ヴァイオレット・エヴァーガーデン第9話感想

 

ヴァイオレット・エヴァーガーデン』が異常に良いです。

 

 


アニメ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』PV第4弾

 

 

これから信仰告白かつ布教活動かつ制作陣への感謝かつ妄想テキストを書きます。途中まではネタバレ無しです。まだ本作を見ていない人には、原作は読まずにアニメを先に見ることを強く推奨します。原作も素晴らしく面白いのですが、諸般の事情によりアニメ版から見た方が絶対に楽しめると断言できます。理由は後ほど。いやホント悪いことは言わないからとにかく見たほうがいい。タイトルがくどいし絵も濃いしなんかかったるいので見るのめんどくせーなーと思う人、俺がそうだったんですが、京都アニメーションに少しでも何らかの信頼を置いている人ならば見たほうがいい。夜中に偶然見た「サムデイインザレイン」でハルヒを見始めて以来(そもそもそれまでアニメを見るという習慣自体無かった)12年京アニ作品を追ってきましたが、この『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は京アニ史上最高傑作になるかも知れない(今のところマイベストはフルメタふもっふとTSR)。まだクライマックスにはじゅうぶん間に合う、Netflixで見れるらしいよ。では本文です。

 

 

簡単な作品紹介(大きなネタバレは無し)

ざっくりとしたイメージとしては、百年くらい前のヨーロッパのような文明レベルの架空の世界を舞台としたお話です。主人公のヴァイオレット・エヴァーガーデンは14歳前後の少女でありながら軍人として多くの人を殺めた過去を持ち、大戦に参加して両腕を失い現在は義肢を身につけている。その世界では字が書けない人のために手紙を代筆する「自動手記人形」という職業が存在し、主人公は恩人の語った「ある言葉」の意味を理解するためにその職につき、様々な経験をする中で大きく変わっていく。

 

まず作品の魅力を支える屋台骨として、ヴァイオレット・エヴァーガーデンというキャラクターがとにかく秀逸です。魔性の美貌、やりすぎなコスチューム、感情を知らない、戦闘の天才、両腕メタル義肢、頭脳明晰かつ超絶KY、CV石川由依と、全部盛りにも程がある。だけどこれらは要素でしか無いので、それがリアリティを持つってのはやっぱり原作者の感覚の勝利だしアニメスタッフ皆の努力の賜物だと思う。物語序盤は「感情を知らないヴァイオレットが自動手記人形として働いていく中で、少しずつ感情を獲得していく」という道筋に沿って進んでいく。非常に特殊な生い立ちのせいで「普通の」人間のように物事を感じることが出来ないヴァイオレットは、様々な困難にぶつかりながらもそれらを一つ一つ克服していく。

 

 

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ヴァイオレットちゃん

 

 

感情を知らないとか書きながらそれがどういう状態を指すのか良く分かりませんが、一つ言えるのは「あんたには人の気持ちが分からない」って人から言われるのは凄く辛いということです。ヴァイオレットも序盤でよくそういうことを言われては傷つき、それもきっかけにして色々なことを理解していきます。このプロセスってなんだか他人事とは思えないというか。頑張れー、感情のあるまともな人間に負けるなーって応援してしまう。

 

で、スタート地点がそんなだからでしょうか、自動手記人形として一人前になったヴァイオレットは他の同業者とは一線を画する異様な能力を備えます。戦争しか知らず人並みの感情を持たない少女が強くそれを恥じ、感情を理解したいと努力した。「だからこそ」他者の心情を深いところまで理解し、引き出すことが出来るようになった。ある人間がそれまでに何を経験し、どんな苦悩を乗り越えてきたかというのは黙っていても相手には伝わるもので、ヴァイオレットの様な非常に特殊な経験をしてきた人間が他者をより強く惹きつける、というのは説得力がある。

 

あとは京都アニメーションの基礎的な作画水準がその時代の先端を行っているというのはもう10年以上ずっとそうだと思いますが、本作でもやっぱりそれは変態的なレベルで、特に一番唸ったのは4話アバンのアイリスが階段を降りる時に足首が細かく左右に揺れるところですね。頭おかしい。こんなこともやれてしまうんかと。あとは陰影の付け方というかライティング、これは「撮影」の分野になるんでしょうか。3話のルクリア兄に手紙を届ける際のヴァイオレットの顔とかやばいですね。人物が室内に居る時、柔らかい光が顔に当たる感じとかも。演出領域では3話、ルクリアがヴァイオレットに自らの過去を独白するシーン、あの間がドンピシャ丁度良すぎる。こういう美点を連ねたらキリが無いくらい、京都アニメーションが積み重ねてきたものの総決算のような作品になってる。今「妖怪人間ベム」が再放送しているのでちらっと見たのですが、やっぱり大昔のアニメーションで表現できることって凄く限定されていたんだな―と感じました。今はこうして様々な技術がガンガン向上しており、昔ではとても表現できなかったテーマを描くことが可能になっている。この作品は「人間の感情」そのものをテーマにしているので、顔の表情の作画一つとっても非常に高い水準を要求されます。で、それを無理なく実装できているというのは京都アニメーションの圧倒的な実力を感じる。すげえなあ…。PVにもあるように音楽も異様に良いです、本エントリ冒頭に貼った映像はもう何回繰り返して見たか分からない。

 

 

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第3話より



 

 

ネタバレ無しの感想はここまでです。以下は原作小説込みのネタバレがあります。

 

 

稀に見る良改変(ネタバレあり)

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【「てるみな」の話】その後

 

「てるみな」の話 - 週刊話半分

 

上の続きです。この間新刊を読んだので。

 

てるみな 3 (楽園コミックス)

てるみな 3 (楽園コミックス)

 

 

個人的な話

 

2巻発売の時に感想を書いてからもう3年も経つのか…と果てしない気持ちになった。以前の記事で「てるみなを読むことはどこまでも《個人的経験》である」みたいなことを書いたけど、今でもつくづくそう思う。3年前に本作品でKashmir作品に出会ってから他作品にも手を伸ばし、ゆっくりとだがおおよその作品に触れた、そして色々な影響を受けた。気がつけばてるみなの舞台に引っ越し、カシミアのコートとマフラーを買った(影響か?)。

 

お気に入りは◯本の住人、百合星人ナオコサン、ななかさんの印税生活入門など。『◯本の住人』は引っ越ししてから半年くらいをかけてのんびり読了した、なんだか早く読み切ってしまうのが勿体無く。大抵はハマったら先を読みたい欲求を押さえきれず一気に全巻読破してしまうので、こういうことは珍しく印象深かった。また、1年ちょい前にインフルエンザに罹り、頭が痛くて映画も本も何も読めず暇で死にそうな時に唯一脳みそが受け付けた漫画でもある。◯本の住人ってホントダメ人間の見本市でなーんか読んでると安心するんだよね―。

 

それでも3年ぶりに『てるみな』の新刊を読むと、やっぱこれが一番Kashmir氏が手加減なしに色々な執着やら美学やらのアレコレをぶち込んでる作品だなーと感じる、勝手な意見ですが。また、たいていこういう一話完結型のオムニバス作品って連載初期の方が面白い(作者の積年のネタと邪念が自然と濃く現れる)ものなのに、このてるみな3巻は1、2巻より更に面白くなってる気がする、具体的には2割増しくらいで。これは地味に凄いことですよ。吐けども尽きぬ

 

 

「匂い立つ」漫画

 

新刊で特に心をかき乱されたのは「銚子電氣鉄道」編だった。 前後編に分かれたこのエピソードは本州最果てのひとつ「外川」から始まる。以下ネタバレあり。

 

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人間っぽい干物も

 

母親におつかいを頼まれるもメモに書かれた単語は大半が意味不明で、見知らぬ町であてずっぽうにその物品を探す主人公・ミナちゃん。なぜその町に居るか、特に理由は語られない。町中では至る所に干物が吊り下げられており、その中には人間っぽいシルエットも。

 

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地球外生命体の干物

 

そこの住人とは言葉も上手く通じない。おつかいのメモに書かれた意味不明な物品を適当に調達したミナちゃんは様々な干物に見送られながら外川を後にする。干物は多種多様なので、その中には地球外生命体も含まれます。

 

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サイケデリック醤油おねえさん

 

醤油の匂い漂う銚子でおつかいを果たすべくさまようミナちゃんは、醤油教を信仰するおねえさんが待ち構える施設に迷い込む。そこで音と光による洗脳が行われ……るも無事に自我を保ち、最後のアイテムを求めて波崎への橋を、異様に長い橋を渡る、醤油おねえさんと共に……(終劇)

 

……こうやって改めてあらすじを書き起こしてみると悪夢感が凄まじいことになりますね。このテキストを読んだ人が物語の全体的な情報を理解出来るとは到底思えない。ただ、もしも「なんかやべーな」ということだけでも伝わったとしたら、それは俺が伝えたいことの全てです。匂い立つのは、干物のにおい、醤油のにおい、死のにおい。

 

偽史コラム

 

各話の間に挿入されるコラムのV林田氏のコラムも、この嘘っぱちの幻想世界のリアリティを補強するのに非常に大きな役割を果たしている。ある嘘をもっともらしく見せる技術として「その嘘を〈すでに与えられた事実〉として、その先の物語を語る」というのがあると思いますが、このコラムはそれです。あんまりにも自信満々に漫画本編のストーリーを土台にした偽史がつらつらと語られるものだから「へーそうなんだあ、まあそういうこともあるかもね」という気分になる。怖い。フィクションということは重々承知ですよ、こうやって怖い怖い書いていても創作ということは分かってる。それでも、どういう訳かこちらの現実認識に働きかけるものがあるんだ。それが読み手を落ち着かなくさせる。大昔テレビで偶然見た映画『ランゴリアーズ』のような。〈夢に追いかけられる〉恐怖というか。 

 

今巻では特に上記「銚子電氣鉄道」編のコラムが白眉で、夜中に風呂場で読んでいたら近所迷惑なレベルで笑ってしまった。「銚子」という単語の読みから連想される概念を極限まで引き延ばし、大風呂敷を広げ、与太を飛ばす。「観音」とかね、その発想は無かったわ(ある訳がない)。ネタバレしたいのもやまやまだけど、こればテキストに書くと勿体なさ過ぎる気がするので是非実際に読んでくだされ。あと本コラムで銚子の「銚」がさり気なくいろいろな似たような漢字にすりかえられていて、何かしらの意味があるに違いないのだけど、それがさっぱり分からない。漫画本編でも表記が揺れまくっている。3年後には分かるだろうか、迂遠な楽しみが一つ増えた。

 

アウトロ

 

よく何かを人にすすめる時に「好き嫌いがわかれると思うけど」ってエクスキューズがあるじゃないですか、あれ俺はあんまり好きではなくて、そんなの当たり前やろ、言い訳すんなといつも思うんです。この『てるみな』も一見その「好き嫌いが別れる作品」の極北っぽく見えるんだけど、考えてみるとめっちゃ普遍的な作品でもあるんですよね。だってこの作品が描いているのって「子供の見る悪夢」がベースだから。「この作品で描かれる世界を経験していない人間は非常に少ない」とも言える。グロいの苦手ってのはあるかもだけど、漫画を読むなら一度読んで損は無いと思う。何でこんなことを書くかというと、その質に見合った評価を得ているとは全然思えないからです。

  

Kashmir作品に出会ったことで読む漫画の幅と深みが変わった。てるみなを読むことなしに小林銅蟲作品やメイドインアビスを読むことはもしかしたら無かったかも知れない。いち漫画好きとしても転換点となる作品だった。出来るだけ長く続いて欲しいし、あと100万部売れろ(完)

【さらに追記あり】エンドロールが名作を台無しにした【咲-Saki-阿知賀編実写劇場版感想】

(下の方に2月1日、2月3日の2回にわたる追記あり)

 

批判記事なんて基本ミジンコのクソ程度の価値しかないし(ミジンコがクソをするかどうかは知らん)死んでも書くことはないと思っていたけど、3日経っても怒りが収まらないどころかより増幅されるばかりなので書きます、書いて放流します。多分10人に1人くらいはこの怒りに同意する人もいるだろう。この記事はその1人のために、これを読むことでその人が楽になることもあるかも知れない、という思いで書くわけでは全くありません。ただ本当に許せないからキーボードをぶっ叩いています。以下怨念です。

 

素晴らしい点、目頭が熱くなるシーンは沢山ありました。これだけ丁寧に作ってくれて、咲-Saki-を愛してくれてありがとう、とも思いました。そんな気持ちも、あのエンドロールで台無しになりました。120分の物語を見て胸がいっぱいになっている時に、エンドロールで唐突に出演者達のメイキングオフショットが入り、トドメに桜田ひよりの署名入りコメントが大写しになる。これが、どうしても受け入れられない。

 

咲-Saki-という作品は、魅力的なキャラクター、ぶっ飛んだ設定、それにリアリティを与える細やかな工夫、先の読めないストーリーといった個々の要素も勿論高いレベルにありますが、そうした諸々が奇跡的なバランスで生み出している「世界観そのもの」にこそ最も強い魅力、特異性があると俺は認識しています。こう言うとまどろっこしいんですが、要は俺は咲-Saki-の世界は実際に「ある」と感じている、ということです。ただそれを俺たちが生きる現実の世界とは同じ方法では知覚出来ないだけであって。これは多分正しい意味で宗教的な観念なので、その感覚を共有することの無い人からすれば「ああ、頭がおかしい人の妄言ですね」と切り捨てられても仕方ないと思う。しかし、自分を偽らずに率直に語るとこういう表現になる。俺にとって咲-Saki-相対評価で見れば100点満点のうち70点なのに絶対評価だと100億点になる無二の作品です。フィクションの持つ真の可能性を示してくれる漫画です。ただその作品を見て面白い、面白くない、いい出来だった悪い出来だった、というだけではなくて、「この作品世界は、多分、俺達が生きるあり方とはほんの少しだけ違うあり方で、確かに今ここに存在している」と思わせてくれる作品なんです。どれだけ言葉を尽くしてもこればっかりは本人が実際に体験するしか理解出来ないと思う。

 

だから、エンドロールまでやりきって欲しかった。最後の最後まであの馬鹿馬鹿しい物語を大真面目に演じきって欲しかった。咲-Saki-の世界を作りきってほしかった。

 

それまで役柄を一生懸命演じてその宇宙を作っていた役者たちの演技以外の姿を、まだエピローグ(かつプロローグ)も残しているエンドロールの画面で見せられる。あれ? さっきまで当の本人たちが必死こいて作り上げていた物語は何だったの? 全部まやかしだったの? いやもちろんまやかしなのは知っているけど、そのまやかしをどう消化(昇華)するか、そこからどんなスピードで覚めていくかは観客個々人の自由ではないの? それも含めての「映画を見る」という体験では? なんで作品のパッケージングの最後の最後でこんな蛇足を……。単なる若手アイドル達のプロモーション・ムービーに堕してしまった。いや出演者達が「咲-Saki-」をステップにより活躍の場を広げていってそれぞれハッピーになっていく、というのは一番嬉しいことなんです。でも、それはあくまで作品世界を完結させたその後で、というのが筋だと思う。

 

上映後の出演者挨拶とかは別ですよ、鑑賞者もそれを予め了解している訳だから。ただ、せめて映画のスクリーンの上でだけは咲-Saki-の物語に浸っていたかった。学生時代の赤土晴絵が麻雀卓で咲-Saki-阿知賀編原作を読みこんでいる姿を、あんなタイミングでは見たくなかった。作品世界と役者を軽んじ過ぎてはいないか? 

 

オフショットは映画BDの特典ディスクに収録すればよろしい。オフショットの内容自体は微笑ましくて素晴らしいと思うし、そういう形式ならば俺も是非見てみたかった。何故、映画の余韻が残るエンドロールに差し込む必要があるのか。生理的な嫌悪感がある。いやらしい。素人臭い、制作側の甘えを感じてしまう。「キャストもスタッフもこんなに楽しく仲良く一生懸命映画を収録しました、たとえ出来がイマイチな点があったとしも、批判は遠慮してくださいね」というメッセージが伝わってくる。1年前の劇場版エンドロールにも同様にオフショットが挟まり、その時も強い嫌悪感を覚えた。しかしそれを上手く言語化できなかったし、正直、その嫌悪感を認めたく無かった。1年経って、同じ形式のものをもう一度見て、はっきり分かった。あのエンドロールは咲-Saki-の世界と、役者たちのプロフェッショナルとしての矜持を傷つけている。俺はこれは嫌だ。何度も言うけど特典ディスクで見たかった。立先生が「エンドロールのオフショット大好き」って仰っていたのも分かる、内容自体は素晴らしいんだから。ただタイミングが。。。 

 

監督のセンスだかスポンサーの意向だかキャストが所属する事務所の圧力だか知らないが、本当にあの決定に反対する人間は居なかったのでしょうか。がっかりです。あれだけはどうしても受け入れられない。あの決定をした人間の思想を好きになれない。我ながらめんどくせーなとは思うけどこればかりはどうしようもない。

 

その他イマイチな点:

何故地方都市のカルチャーセンター会場みたいなところで競技人口1億人を超えるメジャー競技の全国大会が開催されるんだろう? 前提の説得力が薄れる。原作及びアニメで会場が東京国際フォーラムだったのは無茶苦茶な設定にリアリティを持たせるための必然性があったのでこの改変は残念、予算の都合と言えばそれまでですが。今回の小林立先生のブログの更新から色々な事情が一気に察せられ、これまでと同じように素朴に「まあ立先生が喜んでいるなら良いか」とは思えなくなってしまった。

 

良かった点:

上記以外のほぼ全て。映画のちょうど真ん中あたり、浜辺美波さんの宮永照コークスクリューツモを見た時は「これだけでも見に来た価値はあった」と思ったよ。小鍛治健夜プロ役の東亜優さんの乙橘槇絵み溢れる孤高の最強雀士演技がかっこよすぎた、なんとなく不健康な感じも非常にグッド。新子憧役伊藤萌々香さんの横顔が美しすぎる。全体的にキャストの顔が良すぎる。演技全般も真剣で切実で、実写にあたっての細かな調整や追加シナリオ&台詞なんかも素晴らしい。基本的に改変はどんどんしてもらってOK、むしろ漫画原作かつアニメで強い世界観を作り上げている作品を実写に「翻訳」するにあたり、いろいろと積極的な修正は不可欠と考えるので。そういう意味では非常にいい仕事をしている。まじでいくらでも良い点を書き連ねることが出来る。素晴らしいんだよ。それだけに惜しい。

 

俺も咲-Saki-実写プロジェクトを愛したかった。

 

 

【追記 2月1日】

 

 


興味深い指摘なので他の映画のスタッフロールを眺めている時の感情を振り返ってみましたが、出演者や制作スタッフ一覧の文字列については全く気になりません。とりあえずシン・ゴジライコライザー崖の上のポニョの時を思い出しましたが、ふーん、へー、この人達なんだ、面白い物語を有難う、ということを思うでも無く思っていた、ような気がします。さらに言えばそれ以上に、作品が面白すぎて興奮が覚めず、文字列を眺めていても全く頭に入ってこない、ということもあります。スタッフロールに唐突に知人の名前が出てきたりすると「うっそまじあれ○○さんが手配してたの?」とびっくりしてしまいますが、その場合も興ざめするということは無いです。

 

基本的にスタッフロールは作品における責任と功績の所在が誰にあるかを明確に示すものとして不可欠と考えます。物語の虚構性を暴くものには違いありませんが、あのくらいでは気にならない、という感じでしょうか。あとやはり文字と画像のインパクトの違いというのは大きいですね。しかしたとえ手書きではなくフォント表記だったとしても、今回のようにキャストの感想コメントのようなものが映っていたとしたら同じように吐き気を催していたでしょう。機械的に控えめに、果たした役割の事実の列記のみで、粛々と締めて欲しいというのが正直なところです。

 

今回分かったことですが「役者は作品世界を現実にするために奉仕すべき」という思想が私の根本にあるようです。役者は「自分以外の存在になることが出来る、そしてここには無い世界を現実にすることが出来る」からこそ特別であり、尊敬されるべき存在、という考えです。シャーマニズムって言うんですかね、他の存在になれるって凄くないですか。SNSなどで有名人のオフショットが日常的に流れてくる現代においては時代遅れな考えかも知れません。しかし、ことフィクションを創り上げることにおいては、最後まで愚直にやりきった方が貫通力(観客の精神を刺す力)が高いし、それでこそ役者の価値もより高まると今でも思います。思想が近代の域を脱していないと批判されたらまあその通りですが、別にそれが間違いとは思いません。

 

また、漫画でもアニメでも実写映画でも同じですが、作り手側の仕事の1つとして「見た人が批判できる自由を残す」ことが非常に重要と考えています。つまらなかったらつまらないと言う権利が見た人にはある。エントリ本文にも書きましたがエンドロールで楽屋ネタを見せるというのが、どうにも言い訳がましいというか、「客に媚びる気持ち悪い目配せ」のようで嫌いです。

 

しずあこポッキーゲームは最高でした。ああやって映画の外でガンガン悪ふざけしてくれるのは大歓迎ですね。現場からは以上です。

 

 

 

【追記 2月3日】

 

 

 

 

このエントリを公開して3時間後くらいに監督がツイッターで直接言及されており、そこには〈EDのオフショット特に「麻雀最高」が嘘か本当かという問いに集約される〉とあるが、意味がよく分からなかった。だって例えば桜田ひよりさんが「麻雀最高」って言っているのだとしたら(あの署名コメントはあまりに苦痛で直視できず役者名以外よく覚えていないので、おそらくあそこにそう書かれていたのだろうと仮定して)、それは俺も本当だと思うから。役者たちが全力で麻雀を楽しんでこの物語を作っていたことには何の疑いも不満もない。これは本文でも既に繰り返し書いているつもりです。

 

それでもこのテーマについて監督が他の人と色々話している内容を全部読んでみて、監督の考えについて納得は出来なくともある程度の理解は出来た。また、俺個人としては監督からリアクションがあるのは僥倖だけど、基本的には監督がいち観客の不平不満に逐一反応する必要も無いし、むしろするべきではないとすら感じる。その意見にいちいち左右されるようでは駄目だとも。その点ではリアクションはしつつも「まだ明確には理由を言語化出来ないが、あの選択は間違っていない」と考えておられる点はむしろ良かった。平行線ですね。

 

これまで千単位のかなり多くの人がこのエントリを読んで様々な考えを表明してくれたので、結果として公開する意義が大きかった。また、何故ああいう感情を抱くに至ったのかが分かってきて興味深かった。どうやら自分は広くフィクション一般に対して、もちろん咲-Saki-においては特に、出来ればそれを通して《聖性》を体験したいという欲望がある、らしい。こちらも全身全霊をもって見るので、役者も全身全霊で演じて欲しい、この世ならざるものを現出させて欲しい、不可逆的なダメージをこちらに与えて欲しい、そしてそのためには愚直なほど、部外者から見たらクソダサいほど「なりきって」最後までやりきって欲しい、こんな欲望。まあでも自分が好きなものに自分の望むまま存在して欲しいと願うのはめちゃくちゃ醜悪な欲望なんだよな。それは分かる。

第2回咲-Saki-オープン(2017/8/14)に参加してきました、ちょー楽しかったよー

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会場の95%以上が正解したと思われる問題

 

 

前回長野で行われた第一回大会の評判が異常に良かったので密かに気になっていた咲-Saki-オンリーのカルトクイズ大会「咲-Saki-オープン」。たとえ敗退しても見てるだけで面白い、クイズ経験が無くても楽しめるという噂を聞きつけ、それではと参加してきました。結論から書くとめちゃくちゃ楽しかった! こうして思わずビックリマークを付けてしまうくらいに。

 

以下エントリー時から本番まで含んだレビューです。長くなりそうなので、全体的な流れはそこそこに私が参加したクイズを中心に振り返ってみます。

 

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ヤンガンとビッガン、物理電子どちらを買うべきか問題

今朝Amazonからヤングガンガンビッグガンガンの最新号が届いた。両方ともにKindleで購入して既に読んでいたが、5年前から咲-Saki-シリーズの掲載雑誌は全て購入してスクラップしているので何となくそのコンプリートを崩すのが惜しく、また物理版は電子版と違いいつまでも購入可能とは限らず念のため手元に置いておきたいと思ったので。 

 

 

  

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あなたには、私を理解して欲しい / 響け!ユーフォニアム2 第9話「ひびけ!ユーフォニアム」感想

(原作小説未読です。アニメ版のみの感想となります)

田中あすか先輩は1期からずっと「響け!ユーフォニアム」の中でも最も好きなキャラクターです。競技に対するストイックさ、周りへの無関心さ、人間性の薄さに親近感を覚えます。そしてその内実が顕わになった2期第9話を中心とする一連のエピソードは作品タイトルを冠するに恥じない素晴らしい出来で、この作品はこれを表現するためにあったのだな、というのがビンビン伝わってきました。あすかは、主人公の久美子にとっては姉、麗奈と並んで、いやそれ以上に重要な人物として描かれていて、久美子とあすかが対等な友情を結べたことがこの作品において最も美しい達成でした。

 

 

 

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