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或る咲-Saki-廃人の一年

マンガ感想 アニメ感想 咲-Saki-

あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。ブログの更新は引き続き不定期で気が向いた時にちまちまと書いていこうと思います。タイトル詐欺も甚だしいですが私の一週間は伸び縮みするということにします。

 

以下基本は常体で。咲-Saki-全国編の重大なネタバレがあります。

 

  

【祝】咲-Saki-全国編アニメ放送開始

 

今夜はこれから(2014年1月5日20時現在)咲-Saki-全国編の第一話が放送される。昨年末に六本木ヒルズで開催されたイベントで先行上映を見てきたので第一話を見るのは2回目になるがやはり非常に楽しみ。また、少し不思議な気分でもある。というのも、咲-Saki-のアニメの続編が制作され放送されることを当然強く望み期待もしていたが、その願いはきっと叶わないだろうな、との思いがどこかにあったからだ。この気持ちには自分でも気付いていなかったが、この間の試写会を見た時に気づいた。マイナな、あるいはアングラな作品というイメージをどこかで持っていてそれで良しとしていた。2度もアニメ化した作品を前に随分失礼な話である、猛省したい。それだけに、先行上映での感動もひとしおだった。シロに、豊音に、ネキに本当に声と色がついて動きまわるのを見られる日が来るとは…! 生きてて良かった。

 

私の咲-Saki-との出会いは2012年の5月、アニメの咲-Saki- 阿知賀編 episode of side-Aの5話が放送され6話の放送を待つ時期だった(テレビの録画記録で阿知賀編6話が一番古かったので)。原作漫画ではまだ二回戦の大将戦が行われていた。徐々にハマっていく過程はほぼ一年前のこの記事に書いた。それから一年経ち、一つ重要なことを書き忘れていたことに気付いた。私は今「咲-Saki-」を読むためにヤングガンガン(今では「シノハユ」「咲日和」を読むためにビッグガンガンも。漫画雑誌を定期購入するのは約10年ぶり)を購入しているが、そうして単行本に収録される前の最新話を追うまでになったのにははっきりとしたきっかけがある。姫松高校の準決勝進出である。今でも咲-Saki-最大の事件はこの姫松の勝ち抜けだったと思っている。

 

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宮永咲(咲さんこわいかわいい!)

 

 

作者の想像すら超えてくる咲-Saki-のストーリー

 

原作10巻までとネットでのネタバレ情報を見ていたので、他の三校(清澄、宮守女子、永水女子)がそれぞれの魔物っぷりを遺憾なく発揮し、卓上でただ一人の一般人、姫松の末原女史を蹂躙していることは知っていた。予想では2回戦を突破して準決勝進出するのは、清澄は確定としてもう一校は永水女子が本命、宮守女子が対抗で姫松は大穴というかほぼ「絶対にない」レベルで語られていた。それだけに姫松の準決勝進出は衝撃的で、その際のネット上での阿鼻叫喚はよく覚えている。以下のような動画が流行ったのもよく理解できる。それくらい末原先輩はこっぴどくやられていたのである。今でもグーグルの検索窓に「末原」と入れると真っ先に「戦犯」とサジェストされる。戦犯じゃないのに…かわいそう (^^)

 

これとか

 

これも好き。(関係ないが同シリーズでは世界一位の女 ‐ ニコニコ動画:GINZAが大好き)

 

姫松の勝ち抜けを知った時は「この作者は天才か」と大いに驚いた。ここまで軽々と予想の斜め上を行かれてしまうのならばネットで人づてに最新話の情報を知るのは勿体なさ過ぎると考え、それからは咲-Saki-が掲載されているヤンガンは欠かさず購入して読んでいる。我ながらいいお客さんである。

 

この姫松高校の準決勝進出に最も顕著なのだが、なんというかこの作品では、作者があらかじめ考えたストーリーの都合にキャラクタが合わせる、のでは無い。普通に考えれば、永水女子が勝ち抜くのが最も収まりが良い。もしこれがキャプテン翼なら100%永水女子が勝つだろう(偏見)。しかし例えば現実の世界では、未来は必ずしも収まりの良い方向に進む訳ではない。よく「作品世界」という言葉が使われるが、「咲-Saki-」ほどこの言葉を強く感じさせる作品はない。咲-Saki-の世界は確かに存在しており、そこにはそれぞれの人格と歴史を持った人物がそれぞれに懸命に生きており、より良い未来をつかもうと足掻いている。それは作中で「魔物」と呼ばれる天才的な存在であろうと、特にそうした特別な才能を持たないものでも変わりはない。咲-Saki-においてはキャラクタとその舞台となる作品世界が先に存在し、物語はその結果として生み出されている。そこには作者・小林立(あえて尊称略)の頭の中を超えた広がりと必然性を感じることができる。時には作者の小林すらも驚くような展開になっているように見受けられる。以下ファンブックP108の作者インタビューにその辺りのことは詳しい。正直この1ページを読むためだけでも買う価値はあると思う。

 

TV ANIMATION 咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A OFFICIAL FANBOOK
 

 

 

キャラクタの魅力(例:原村和)

 

また、小林立の最大の強みといえるそのキャラクタ造形については、誰一人として「記号的でない」ことが言える。例えば主人公の宮永咲に次ぐ重要人物、副主人公格の原村和(はらむらのどか。関係ないがゲンツキ・ホーは歴史的傑作)にそれが分かりやすい。和はまあ一見はいわゆる「委員長キャラ」だが、中身は世間一般の委員長キャラとはひと味もふた味も異なっている。委員長キャラといえば頭が固くて融通がきかず、能力&才能的に主人公キャラに劣り、またそれを自覚しており、コンプレックスと主人公に対する好意からちょっとずつキャラとして丸くなっていき、水で薄めた味噌汁の様になっていくのが常である(個人の見解)。しかしこの原村和は堅物ではあっても決してつまらない人間ではない、というか非常に魅力的なキャラクタとして描かれている。また、その堅物ぶりも普通のレベルではなく、ある意味で常軌を逸している。超能力を駆使して戦うことが半ば公然となっている咲-Saki-の麻雀世界において全ての超常現象を「そんなオカルトありえません(SOA)」「なかなかの偶然ですね」とばっさり切り捨て、あくまでも確率的に理に適った打ち方を貫いている。連載から長年経過した現在でも(つーても作中では数ヶ月ですが)そのスタンスには全くブレがない。堅物も突き抜けると個性となる好例である。また、ここが重要だが、その打ち方で勝ち続けているのである。少なくとも決定的な負けを公式戦においては未だ味わっていない。国広一や愛宕洋榎が言うように、「だからこそ強い」のである。強さのあり方はこの咲-Saki-の世界において一様ではなく、それぞれが自分の信じる打ち方で戦っている。言わば我々が生きる現実に近い、複雑で多様な個人の多様なあり方を切り捨てず、出来る限りそのまま描きたいという作者の意志が感じられる。また、和の咲への愛情もまっすぐで鮮烈で非常に好感が持てる。そうした諸々が彼女の複雑な人格を十全に表現しており、並居る他の個性的なキャラクタ達にも負けずに原村和を魅力的ならしめている。

 

 

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原村和(コラじゃないんだよなあ…)

 

他のキャラクタでも、例えばセリフ一つを取ってみても決してテキトーに当てられたのではないことがよく分かる。一つ一つが「正にそのキャラクタが言いそうなこと」ばかりなのだ。と、この間の愛宕ネキの「串カツ食べたい」「おやき王国の…」で感じました。まる。あとキャラデザの幅も半端ない。登場人物の数は軽く100を超えていますが特別おかしな口癖などをひねり出さずとも余裕で全員の見分けが付く。

 

小林立氏のホームページ「dreamscape」

 

上リンクではそれぞれのキャラクタが「さん」付けだったり「ちゃん」だったり「様」だったりする。作者にとってもこの咲-Saki-ワールドのキャラって自然に存在してるんだろうなあと納得感が強い。また「正直どの学校も10巻くらい個別に描きたい」「シノハユはいざ話を書いてみると4巻分でまだ余裕で小学生で(中略)できれば小~中学生編で100巻くらい書きたいくらい(後略)」ってのもさもありなん。量産型五十嵐あぐりの開発が待たれる。

 

主人公の宮永咲は和に比べるとキャラクタとしての掘り下げはまだまだこれからといった感じ。やたらと重い過去が匂わされていたし(放火魔疑惑は悲しい…)、姉の宮永照との確執にどう落とし前を付けるのかなーと今から楽しみ。あと宮永咲は実はまだ「麻雀を打っていない」んじゃないかな、と思います。その圧倒的な強さで分かりにくくなってはいるけれど。長野県決勝のインターバルで藤田プロが天江衣に「そろそろ麻雀を打てよ おまえのは打ってるんじゃない 打たされてるんだ」と諭す場面があり、その後天江衣は宮永咲との戦いの中で打ち方に迷い、初めて自ら「麻雀を打ち」はじめます。結果的に敗れはしたけれどそれまで縛られていた様々なしがらみから解放され、彼女は一つの大きな自由を得ることができた。衣は咲のおかげで孤独では無くなった。それでは咲は? 長野県決勝での楽しそうな打ちっぷり&勝ちっぷりを見た時はそんなこと全く思わなかったが、全国2回戦終盤の鬼神の如き打ち筋を見ていると、藤田プロの「麻雀を打たされている」という言葉がチラついて仕方がない。おそらく姉・宮永照との確執の原因もこの辺りが絡んでおり、咲が「麻雀を打つ」ようになることが物語のメイン・テーマだろうな、勝手に思っています。カギは原村和の愛。

 

 

世界の構築(舞台探訪文化)

 

この一年も多くの咲-Saki-ファンの方々が物語の舞台を探し出して実際に訪れては楽しまれているようでした。多くの他ブログ様の記事を参考に、自分も数は少ないけれど大いに楽しみました。ありがとうございました。特に8月に「シノハユ」の舞台、島根は玉造温泉に行ってきたのは忘れがたい経験でした。

 

【咲-Saki-新シリーズ「シノハユ」聖地探訪】玉造温泉(@島根県)に行ってきた - 週刊話半分

 

その後無事に「シノハユ」も始まり、作品を読むたびに8月に行って実際に見てきた景色を思い出して胸が熱くなります。これだけ舞台探訪文化が栄えるのもよく分かります。あれはちょっと説明しようのない楽しさがある。

 

 

まとめ

 

今では咲-Saki-は、私にとって「コンテンツを読む」というよりは「共に生きる」大事な作品です。でも正直、これだけめり込んでいてもふと我に返る時があり、「もしもつまらないと思ったらいつでも読むのを止めよう」とその度に考えていました。それまで好きだったから未来永劫好きでなければいけない、なんてのはあまりに不自由で、娯楽とは最も遠い姿勢だな、と感じたので。しかしこの1年間、咲-Saki-が掲載される度に本屋でヤンガンを買っては読み、その度に圧倒的な多幸感に浸ってはますます好きになっていきました。そうしているウチに島根には舞台探訪し、人生で初めてコミケに行っては咲-Saki-同人を買い漁ったりしていました。その全てが滅茶苦茶楽しかった。人生が豊かになったような気がします。

  

アニメの監督の小野学監督は先日のイベントで「自分にとって咲-Saki-はライフワーク。物語の最後までやりたい」と話されていて、ああこの人たちに作ってもらうことが出来て咲-Saki-は本当に幸せな作品だな、と感じました。アニメ制作サイドと原作が見事なチームワークを見せた作品として、私が見た中では「ARIA」や「とらドラ!」が真っ先に思い浮かびますが、咲-Saki-もそれらに負けない、それ以上に幸せな作品になりそうで嬉しいです。原作共々期待しています。

 

(2014年1月6日3時現在) 

今全国編アニメ第一話見たけどホント最高すぎる。。。